御正忌報恩講 ご門主法話(ご親教)

阿弥陀さまのおはたらきが
私の生きる"依りどころ"に
本年もようこそ御正忌報恩講にご参拝くださいました。全国から親鸞聖人をお慕いする皆さまがご参拝くださり、ご一緒におつとめをし、お念仏申させていただく尊いご縁であります。
このご縁にあたり、親鸞聖人が私たちにお伝えくださった浄土真宗のみ教えを改めて味わわせていただきましょう。
仏教は今から約2500年前にお釈迦さまによって説かれました。お釈迦さまは悟りを開かれ 仏陀となられましたが、悟りを開くとはこの世界と私たち人間のありのままの姿、 つまり、時間と場所を超えた普遍的な真実に目覚めるということです。
ですから、お釈迦さまが説かれた仏教は2500年前のインドにおいても、また、現代や将来のいかなる場所においても同じように当てはまると言うことができます。
この普遍的な真実を、仏教では「諸行無常」と「縁起 」という言葉によって表現します。「諸行無常」とは、この世界のすべての物事は一瞬もとどまることなく移り変わっているということ、「縁起」とは、その一瞬ごとにすべての物事は互いに関わり合って存在しているということです。つまり、この世界において、私自身を含めて固定して変化しないものは存在しないということです。
考えてみますと、私たちは、毎年1歳ずつ年齢を重ねます。1年ではなかなか自覚しにくいかもしれませんが、10年前の私と比べてみれば、姿や考え方が変化したと感じる方も多いのではないでしょうか。ただし厳密に言えば、この変化の原因は、我々人間の体を構成する細胞が日々、億単位で更新されているから、ということになります。
このような普遍的なありのままの真実を、私たちは理屈として理解することはできますが、そのことを本当に受け入れて生きていくことは難しいのではないでしょうか。
私自身の思いやとらわれは真実に反したものであり、結果として、悩みや苦しみを抱えながら生きていくことになります。
親鸞聖人は、このような私たちに向けられた阿弥陀さまの真実のおはたらきを顕 かにされました。真実に背いた生き方しかできない私に向けられたこの阿弥陀さまのおはたらきは、私を支えてくださるものとなり、私の生きる依りどころとなります。
本年も浄土真宗のみ教えを聞かせていただき、阿弥陀さまのおはたらきの中で、一日一日を過ごしてまいりましょう。
本日はようこそご参拝くださいました。
本願寺新報2020(令和2)年 2月1日号掲載