立教開宗記念法要(春の法要) ご門主法話(ご親教)

"本当の私"に向けられた はたらきを受け止める
本日は、ようこそ立教開宗記念法要にご参拝くださいました。
昨日の熊本県を震源とする地震において犠牲となられた方に哀悼の意を表しますとともに、被災された方にお見舞い申し上げます。宗門として、困難な状況にある方に対して寄り添う活動を続けてまいりましょう。
この法要は、親鸞聖人が『顕浄土真実教行証文類』、いわゆる『教行信証』をお書きになり、浄土真宗のみ教えをお伝えくださったことを機縁とする法要であります。ご法要を縁として、あらためて浄土真宗のみ教えを味わわせていただきましょう。
明らかになる私の姿
親鸞聖人はご和讃で、阿弥陀さまのおはたらきと、そのおはたらきで明らかになった私の姿を次のように記されています。
「無慚無愧のこの身にて まことのこころはなけれども 弥陀の回向の御名なれば 功徳は十方にみちたまふ(註釈版聖典617ページ)」
現代語訳すると、「罪を恥じる心がないこの身には、まことの心などないけれども、阿弥陀仏があらゆるものに回向してくださる名号であるから、その功徳はすべての世界に満ちわたっている」(現代語版聖典三帖和讃183ページ)となります。
思い通りにならない人生
阿弥陀さまのおはたらきを聞かせていただき明らかになる私の姿は、物事を自分の都合が良いように考え、ありのままに見ることができない、自己中心的な姿であります。私たちは、自分にとって都合が良いことは受け容れ、都合の悪いことには受け容れられない理由を探してしまうのではないでしょうか。そして、思い通りにならない人生に、悩み、苦しみます。このような私たちの姿は、時代や場所が変わっても変わることはありません。
しかし、阿弥陀さまは、「そのままの姿で救う」とはたらいていてくださいます。このようにお聞かせいただく時、私たちは、親鸞聖人が「罪悪深重の凡夫」と示された私の本当の姿と、そのような私に向けられた阿弥陀さまのおはたらきを、しっかりと受け止めることができます
浄土真宗のみ教えは、親鸞聖人が説かれて以来、多くの先人の方の生きる依りどころとなり、今日の私たちにまで受け継がれてきました。そして、これからも変わることなく、多くの方の生きる依りどころとなります
本日ご参拝の皆さまには、これからもみ教えを聞かれますとともに、み教えに遇えた喜びを多くのご縁ある方に伝えていただきたいと思います。
本年10月より伝灯奉告法要をおつとめいたします。私たちにみ教えが伝わっていることを喜び、次の世代の方へと伝えていく決意を新たにする法要にいたしたいと思います。どうぞご縁ある方をお誘いいただき、ご参拝ください。
本日は、ようこそご参拝くださいました。
本願寺新報2016(平成28)年5月1日号掲載