御正忌報恩講 ご門主法話(ご親教)
浄土真宗のみ教えが示すのは
「私たちはこの命をどう生きるか」
阿弥陀さまのおはたらき 依りどころに生きる
本年も、ようこそ御正忌報恩講にご参拝くださいました。全国から親鸞聖人をお慕いする皆さまがご参拝くださり、ご一緒におつとめをし、お念仏申させていただく尊いご縁であります。このご縁にあたり、あらためて親鸞聖人がお説きになった浄土真宗のみ教えを味わわせていただきましょう。
親鸞聖人がお説きになった浄土真宗のみ教えは、私たちがどのようにこの命を生きていくのかを示しています。それは、仏さまにお願いごとをしたり、不確かなものに頼る生き方ではありません。阿弥陀さまのおはたらきを依りどころとして、真実に気づいて生きる生き方であります。
逃れられない死 科学や医学では答え見いだせない
私たち人間は、物事をありのままに受け止めることができない存在です。そして、私たちは自分にとって都合のいい希望や願いを持って生きています。だから、願い通りにならない時には、何か根拠のないものに頼ってしまったり、あるいは自暴自棄になったりしてしまいます。
なかでも、究極的に自分の願い通りにならないことは、私たち全ての人は死から逃れることはできないということです。ですから、自分自身や親しい方の死を、どのように考え、受け止めていくのかは、どんなに科学技術が発達しても、科学や医学では答えを見いだすことはできません。
親鸞聖人は『正像末和讃』に、「かなしきかなや道俗の 良時・吉日えらばしめ 天神・地祇をあがめつつ 卜占祭祀つとめとす」(註釈版聖典618ページ)と、当時の人々の姿を記しておられます。
対して、親鸞聖人が説かれた浄土真宗は、阿弥陀如来のはたらきによって真実に気付く教えです。『歎異抄』には、「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもつてそらごとたはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします」(同853ページ)という親鸞聖人のお言葉が記されています。
私たちは、浄土真宗のみ教えを聞かせていただき、真実を依りどころとして、この世を生きていくことができます。み教えを聞き、お念仏申す中に、日々の暮らしをさせていただきましょう。そして、ご家族をはじめとするご縁ある方へ、み教えを依りどころとする人生の素晴らしさを伝えていただきたいと思います。
み教えに遇えた喜び 伝灯奉告法要で次の世代に
本年10月より、伝灯奉告法要をおつとめいたします。ご参拝の方とともに、み教えに遇えたことを喜び、次の世代へと伝える決意を新たにするとともに、まだお寺にご縁のない方にもご参拝いただく機縁といたしたいと思います。どうぞ、ご縁ある方をお誘いいただき、ご参拝ください。
本日は、ようこそご参拝くださいました。
本願寺新報2016(平成28)年2月1日号掲載