立教開宗記念法要(春の法要) ご門主法話(ご親教)

「念仏せよ。必ず救う」と喚び続けてくださる阿弥陀さま
『教行信証』撰述 機縁にした法要
本日はようこそ立教開宗記念法要にご参拝くださいました。
この法要は、親鸞聖人が『顕浄土真実教行証文類』、いわゆる『教行信証』をお書きになり、浄土真宗のみ教えをお伝えくださったことを機縁とする法要であります。ご法要を縁として、あらためて浄土真宗のみ教えを味わわせていただきましょう。
親鸞聖人は「正信偈」に「極重悪人唯称仏 我亦在彼摂取中 煩悩鄣眼雖不見 大悲無倦常照我」、すなわち「極重の悪人はただ仏を称すべし。われまたかの摂取のなかにあれども、煩悩、眼を障へて見たてまつらずといへども、大悲、倦きことなくしてつねにわれを照らしたまふといへり」(註釈版聖典207ページ)と示されました。
現代語訳すると「きわめて罪の重い悪人はただ念仏すべきである。わたしもまた阿弥陀仏の光明の中に摂め取られているけれども、煩悩がわたしの眼をさえぎって、見たてまつることができない。しかしながら、阿弥陀仏の大いなる慈悲の光明は、そのようなわたしを見捨てることなく常に照らしていてくださる」(現代語版『教行信証』151ページ)となります。
物事を自分にとって都合がいいように理解し、真実を真実として見ることができないのが、阿弥陀さまから見た自己中心的な私たちの姿です。
み教えを聞き 縁ある方へも
例えば、私たちは「すべての人は必ず死ななければならない」ということを、知識としてはわかっていても、自身や親しい方の死に直面した時、それをなかなか受け入れることができません。しかし、たとえ煩悩によって真実を見る眼が覆われていたとしても、「念仏せよ。必ず救う」と絶えず喚びかけてくださっているのが阿弥陀さまです。
阿弥陀さまのはたらきに出遇い、自己のとらわれに気付かされた時、私たちはさまざまなご縁を大切にしながら、この限られた命を生き抜くことができます。
今日ご参拝の皆さまには、今後もお寺へお参りくださり、み教えを聞かれますとともに、ご縁ある方へもみ教えをお伝えいただきたいと思います。
本日はようこそご参拝くださいました。
本願寺新報2015(平成27)年5月1日号掲載