前門様のお言葉

蓮如上人五百回遠忌法要についての消息

ご消息1992/01/16

 平成十年は本願寺第八代蓮如上人の五百回忌にあたり、ご遠忌法要をお勤めすることになりました。

 今日の宗門本願寺の礎は蓮如上人によつて築かれました。上人は、応永二十二年に京都東山大谷の本願寺でご誕生になり、十七歳のとき得度され、二十歳代からはお聖教を書写して授与されるなど、第七代存如上人の補佐につとめられ、四十三歳のときに法灯を継承されました。

 上人はご幼少のころから、浄土真宗の再興を念願して、研鑽に励まれましたが、本願寺をお継ぎになりますと、ただちに並々ならぬ決意をもつてご教化をはじめられました。そのころの社会は、経済が進展し、新しい仕組みも育ちはじめていましたが、一方、戦乱などにより深刻な様相を呈していました。そうしたなかで上人は、人びとに帰すべき道、人生の依りどころをお示しになりました。

 それまでの本願寺の伝道は、ややもすれば儀礼に偏りがちでありましたが、上人は「聖人一流の御勧化のおもむきは、信心をもつて本とせられ候ふ」、「御恩報尽の念仏とこころうべきなり」と信心正因・称名報恩の宗意を明示され、さらに、「身をすてて平座にてみなと同座するは、聖人の仰せに、四海の信心のひとは、みな兄弟と仰せられたれば、われもそのおことばのごとくなり」と、親鸞聖人の同朋精神にもとづき、人びとと親しく膝をまじえて仏法を談合されました。

 また親鸞聖人が書状によつて門弟をご教化になつた先例をうけつざ、蓮如上人も平易で簡潔な『御文章』によつて教えを説かれました。さらに門徒に数多くの尊号を授けられ、仏前の勤行には『正信偈・和讃』を用い、人びととともに仏恩を報謝されたのでした。

 上人の熱心なご教化によつて、阿弥陀如来の広大なお慈悲のもと、みな平等に救われることを知らされた人びとの輪は、次第に大きくなり、やがて日本全国にひろがりました。

 その間には、大谷本願寺が破却されるという法難にあわれましたが、上人はそれに屈することなく、近畿各地や越前吉崎に拠つて伝道され、のちには京都山科に本願寺を再興されました。また晩年には大坂石山に坊舎をお建てになりました。

 上人は七十五歳のときにご隠退になり、寺務を実如上人にお譲りになりましたが、明応八年三月二十五日に八十五歳でご往生になるまで熱心なご教化をお続けになりました。

 上人は「あはれ無上菩提のためには信心決定の行者も繁昌せしめ、念仏をも申さん輩も出来せしむるやうにもあれかし」とお書きとどめになりましたが、まことに上人ご一生のご教化の帰結を示すもので、真宗興隆の要もひとえに真実信心の行者を一人でも多く育てることにありました。

 今日の地球環境は人類によつてひきおこされた破壊汚染がとどまるところをしらず、さらに南北の経済格差、民族間の対立、さまざまの差別など、いのちを損なう問題が山積しています。今、私たちは、いのちの尊さにめざめ、自己中心的なあり方を変えなければなりません。親鸞聖人が開顕された浄土真宗に帰依する私たちは、蓮如上人が広く人びとの思いを受けとめ、南無阿弥陀仏によつて生き抜かれたお心を体して、念仏者の責務を果たしたいと思います。

 このたび上人のご遠忌を迎えるにあたり、中興のご遺徳を鑚仰し、二十一世紀に向けて浄土真宗のみ教えが、人びとのいのちのまことの依りどころとなり、宗門がその使命を果たすことができますよう、皆様がお力をつくして下さることを念願いたします。

平成四年一月十六日
龍谷門主 釋 即 如