前門様のお言葉

御正忌報恩講 ご門主法話(ご親教)

法話2013/01/15

他力によってめぐまれる信心

 皆さまとご一緒に、宗祖親鸞聖人の751回忌に当たる御正忌報恩講をおつとめし、今日、大逮夜(おおたいや)を迎えました。

 宗祖親鸞聖人が90年のご生涯をかけて、浄土真宗を立教開宗され、伝えてくださいましたそのご苦労は、 「本当に私のためであった」と味わうことができれば、誠に素晴らしいことです。

 人間の世の中は、なかなか私の思うようにはなりません。日々、事件が起こり、事故が起こっています。東日本大震災では、多くの方がまったく予期せぬままに人生を終えられ、あるいは身近な方、住まいや仕事を失われました。「日本は地震国である」と昔から言われ、三陸海岸では明治、昭和と大津波の被害がありました。それでも、十分な準備はできなかったのです。人類の知恵には限界があり、予期せぬ出来事を避けることはできません。

 今後の対策として、各自が立場に応じて事故や被害の原因を探求する必要がありますが、仏教、浄土真宗が担う課題の第一は、表面的な原因の追求ではなく、すでに起きてしまった結果をどう受け止めるかであり、その背後にある人間の姿そのものを見つめることです。結果は変えることができませんから、その上に立って今を生きなければなりません。

この世超えた真実に支えられている

 阿弥陀如来の救いは、こちらからお願いするのではなく、ご本願の一方的なはたらきです。それは、私が、そして人類、社会が、それほど危うい存在であり、煩悩に引きずられて真実から遠い生き方、在り方をしているからです。「助けてほしい」と叫んでも、私は、自分に都合のよい救いを期待しています。

 親鸞聖人はご和讃に「五濁悪時悪世界(ごじょくあくじあくせかい)濁悪邪見(じょくあくじゃけん)の衆生(しゅじょう)には弥陀(みだ)の名号(みょうごう)あたへてぞ恒沙(ごうじゃ)の諸仏(しょぶつ)すすめたる」(註釈版聖典571ページ)と、『阿弥陀経』の趣意を詠われました。

 五濁、五つの濁(にご)りとは、一番目は時代の汚れ、つまり、天災、地変、戦争、紛争など。二番目は思想、見解の汚れ。三番目は煩悩の汚れ。四番目は心身の衰え。五番目は寿命が短くなること、の五つですが、仏教の伝統的な世界観によれば、このような表現になるでありましょう。

 その中を生き抜く道が「南無阿弥陀仏」です。阿弥陀如来の智慧(ちえ)と慈悲(じひ)のはたらきが、南無阿弥陀仏となり、信心(しんじん)となり、私を支え、導き、往生成仏(おうじょうじょうぶつ)させてくださいます。

 お念仏と共に生きるとは、常に、この世を超えた真実に照らされ、支えられていることに目覚め、濁りの世を生き抜くことです。むさぼり、いかり、おろかさに常に気を付け、互いに支え合う道を見つけ出さねばなりません。

 南無阿弥陀仏を身にいただく者は、口から南無阿弥陀仏が出てきます。このご和讃では、数限りない仏さまが勧めてくださるとありますが、私たちの周りでも、人々の口から南無阿弥陀仏が出て、私に聞こえてきます。

 南無阿弥陀仏は、私を救ってくださるはたらきであると同時に、阿弥陀如来を誉(ほ)め称(たた)え、人々に勧めるはたらきであります。共にお念仏申して、御同朋(おんどうぼう)と呼び合えるつながりを、育てていきたいと思います。

 なお、昨年4月から宗門の規則が変わり、組織が変わりました。私の願いは、宗門を国や自治体になぞらえて運営するのではなく、伝統的な檀家制度だけに閉じこもらず、変化の激しい社会の中で仏法を伝え、さまざまの悩みや課題を抱える方々と共に歩むようになることです。御同朋の社会をめざす運動が、それぞれの場で進められることを願っております。

 ようこそ、ご参拝になりました。


本願寺新報2013(平成25)年2月1日号掲載
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