前門様のお言葉

親鸞聖人750回大遠忌法要御正当 ご門主お言葉

法話2012/01/15

 皆さま、ようこそご参拝になりました。昨年の大震災後、1カ月経たない4月9日から始まりました親鸞聖人の750回大遠忌法要は、本日、大逮夜(おおたいや)(最後の午後の法要)をおつとめすることができました。

 本日まで多くの方にご参拝いただき、50年に一度のご勝縁を共にすることができましたこと、まことにありがたく存じます。東日本大震災をはじめとする天災地変や放射能汚染で被災された方々、社会の情勢や個人的な事情で困難を抱えている方々が少なくない世の中です。大遠忌にご参拝になれなかった方々のことを思いつつ、これからの日々を過ごしたいと思います。

 先ほど、お正信偈の前にお唱えしましたのは、親鸞聖人の主著『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』の最初の部分、「総序(そうじょ)」です。「ひそかにおもんみれば、難思(なんじ)の弘誓(ぐぜい)は難度海(なんどかい)を度(ど)する大船(だいせん)、無礙(むげ)の光明(こうみょう)は無明(むみょう)の闇(あん)を破(は)する恵日(えにち)なり(註釈版聖典131ページ)」というお言葉から始まっていました。意訳しますと、「私なりに考えてみると、凡夫(ぼんぶ)にははかりがたい阿弥陀如来のご本願は、渡ることの難しい迷いの海を渡してくださる大きな船であり、何ものにもさまたげられないその光明は、煩悩(ぼんのう)の闇(やみ)を破ってくださる智慧の輝きである」となります。

 何が起こるかわからない私の人生。無知と欲望に引きずられている私。過ぎ去ったことは取り返しがつかない世の中。どれも渡りにくい荒海に譬(たと)えられます。難しい修行をしなくても、人生そのものが難問、難題の連続です。でも、阿弥陀如来は南無阿弥陀仏となって私を支え、さとりへと導いてくださいます。

 ご本願を信じる者、南無阿弥陀仏をいただく者にとって、この世は往生浄土への船の旅です。船は大勢が乗れる大きな乗り物を意味します。私が救われる教えは、誰でもが救われる教えです。共に手を取り、支え合って人生の旅を続けたいと思います。そして、今生きているあらゆるいのち、後々の世代も心豊かに生きられることを願わずにはおれません。

 親鸞聖人のおこころ、750年にわたりみ教えを伝え、宗門を受け継いでくださった先人の方々の願いをしっかりと受け止め、お念仏申して精いっぱい過ごさせていただきましょう。


本願寺新報2012(平成24)年2月1日号掲載
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