前門様のお言葉

秋の法要(全国門徒総追悼法要)  ご門主法話(ご親教)

法話2011/11/23

限りがある人間の力私の人生、私たちの社会は節度を

すべての人は私と無関係ではない先人のご苦労をあらためて感じる

 全国門徒総追悼法要に、皆さまようこそご参拝になりました。

 このご法要は、身近な方だけでなく、お名前を知らないご門徒の方々をも、すべて追悼するところに特色があるといえましょう。

 この世は、縁起の道理の通り、重々無尽のつながりによって成り立っていますから、すべての人は私と無関係ではありません。しかし、その中でも親鸞聖人を宗祖とする私たちの宗門にご縁があったということは、さらに深い縁であり、仏縁です。

 熱心にみ教えを聴聞された方、お寺の活動に加わっていらっしゃった方、お寺や宗門の護持に力を尽くしてくださった方、一度だけお参りされた方など、さまざまの方がいらっしゃると思いますが、すべて私たちの先を歩まれた方として受け取り、み教えに生きることの大切さを思い、後に続く者としての自覚を高めたいと思います。

 今年は、本願寺で宗祖親鸞聖人750回大遠忌法要をおつとめいたしました。ご法要は、親鸞聖人のお徳を偲びたたえる機会ですが、考えてみますと750年以上の長きにわたってみ教えを受け継ぎ、お寺を支え、伝えてくださった方々がいらっしゃったのです。あらためて、先人のご苦労を深く感じることでありますが、本日のご法要も、そのような流れの中で一番近い方々を偲ぶという意味がありましょう。

私を支え、導いてくださる如来「凡夫」は言い訳の言葉ではない

 ところで、「世のなか 安穏なれ」をスローガンに4月から始まる大遠忌法要の準備が着々と進んでいたこの3月、東日本大震災が起こりました。

 多くの方がいのちを失い、親しい人を失い、仕事を失い、住まいを失い、大切にしていた物、故郷の景色まで失われた方があります。誠に痛ましいことです。多くの方々が義援金を送り、ボランティア活動に参加されていますことは、有り難いことです。

 被害の大きさという意味では、かつてない規模でありましょうが、地震や津波の規模という自然の猛威に限りますと、過去に同じような災害はいくつもありました。津波が襲ったという丘の上の石碑もありましたが、忘れ去られていたと聞きました。人間は、大事なことでも忘れてしまうものであります。それは、人ごとではありません。

 阿弥陀如来のご本願は、このような私のために向けられています。凡夫という言葉は、都合の悪いときに言い訳する言葉ではなく、阿弥陀如来がご覧になって、真実の智慧がなく迷いの人生を送っている者ということです。精一杯生きていても、限られた知恵、限られた能力では、どこかで思いがけないことに出会い、あるいは老・病・死のように受け容れがたいことを避けられません。

 阿弥陀如来は、ありのままの私を受け容れてくださり、ご本願の船に乗せて、お浄土でのさとりへと運んでくださいます。人間の力には限りがあると知らされるとき、私の人生、私たちの社会は、ある程度の節度が必要だと思います。他人のいのちや子孫の生活を犠牲にして成り立たせる社会ではなくて「ともに いのち かがやく 世界へ」と歩みたいものです。

 親鸞聖人のご和讃に「無慚無愧(むざんむぎ)のこの身にて まことのこころはなけれども 弥陀の回向(えこう)の御名(みな)なれば 功徳(くどく)は十方にみちたまふ(註釈版聖典617ページ)」とあります。

 わが身の至らなさを思うにつけても、南無阿弥陀仏のはたらきが私を支え、導いてくださることを有り難く受け取らせていただきたいと思います。

本願寺新報2011(平成23)年12月20日号掲載
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