前門様のお言葉

御正忌報恩講 ご門主法話(ご親教

法話2007/01/15

深く生きるためには?
如来に受け容れられた私の心を周りに開く

現代人と浄土真宗との接点

 今年も皆さまとご一緒に、御正忌報恩講をおつとめいたしまして、今日、大逮夜を迎えることができました。

 私たちが報恩講をおつとめするゆえんは、宗祖親鸞聖人が浄土真宗をお開き下さったことです。聖人が比叡山でのご修行の道を転じて、法然房源空聖人の門にお入りになった主な理由の一つは、ご自身だけではなく誰でもが救われて、仏になる道を求めていらっしゃったからだと思います。

 釈尊以来、仏教の主流は、戒をたもち、出家、修行することでした。それは、この世の束縛である社会的なつながり、そして自分の中の束縛である欲望、煩悩を離れて自由な生き方をすることでもあります。

 このような出家の道を求める心は、一時的には起こることがあるかもしれませんが、長続きする人は多くないと思います。それは、私たちが平生(へいぜい)に期待する「健康で長生き」「家族仲良く」「豊かな暮らし」などとは大きな隔たりがあるからです。

 しかしこれらは、私たちの素朴な、あるいは切実な願いであり、全部捨ててしまっては生きることも危うくなります。私たちにもう少し身近な課題は、さまざまな悩みや心配事を抱えて、その場限りの対応、対処だけで満足せず、もう一つ広くあるいは深く生きる意味を知りたい、落ち着きや安らぎを得たいということではないでしょうか。浄土真宗と現代人との接点の一つはここにありそうです。

念仏申す身に喜びさまざま

 親鸞聖人が教えて下さったのは、悩みや苦しみを抱えた私が、阿弥陀如来の智慧と慈悲のはたらきに照らされ、包まれ、導かれて生きることです。往生浄土の道とは、欲望を捨てるのでもなく、無制限に満たそうとするのでもなく、限りある命を受け容れて、精いっぱい生きることです。

 その根本は、他力の信心です。この信心は、阿弥陀如来からたまわるという意味で、他力の信心と申します。阿弥陀如来の真実のおこころが私に届くこととも言えましょう。

 平易な譬(たと)えを借りますと、親の思いが子に通じた時、闇に迷っていた子の人生が変わります。「通じる」とは心が正しく受け止められたことです。

 南無阿弥陀仏というお名前のはたらきによって、私に阿弥陀如来のおこころが伝わります。そして、お念仏申す身となるのです。そこには、さまざまな利益(りやく)があり、喜びがあります。普通にいう現世利益ではない利益です。

 親鸞聖人はご和讚に、「五濁(ごじょく)悪世の有情(うじょう)の 選択(せんじゃく)本願信ずれば 不可称(ふかしょう)不可説不可思議の 功徳(くどく)は行者の身にみてり」(註釈版聖典605ページ)とうたわれました。

 ご本願を信じる身になると往生浄土が決まることは申すまでもありませんが、さらにこの世で限りない功徳、利益が得られるのです。ご参詣の皆さまの喜びや利益はどのようなことでしょうか。

 例えば、うれしいことがあった時、阿弥陀如来に照らされて、さまざまなご縁を感謝する広い心が育ちます。大事な人を亡くした時には、人間の持つ限界を知らされるとともに、だからこそ、喚(よ)びかけていてくださるお慈悲が味わわれます。お慈悲は、病気を治す薬ではありませんが、病気と共に生きる力を得て、当人はもちろん、周囲にも温かい気持ちが伝わります。

 国の内外に争いの多い今日、「世のなか安穏(あんのん)なれ、仏法ひろまれ」(同784ページ)という宗祖の願いは、悪者を捜し出して攻撃するのではなくて、共に凡夫であるというお念仏のこころが大きな意味を持つことでしょう。

聖人の教えを本当の支えに

 ある小学校で、先生が宿題に「自分の長所、良いところ」を書かせようとしたところ、子どもたち自身でもなかなか思いつかないし、親に聞いても「良いところは一つもない」と言われてしまった、ということを聞いたことがあります。これでは、自信を持って人生を歩むことができません。子どもを取り巻く大人が、心にゆとりを持っていないから、ありのままの子どもを受け容れることができないのではないでしょうか。

 「他力の信心うるひとを うやまひおほきによろこべば すなはちわが親友(しんぬ)ぞと 教主(きょうしゅ)世尊はほめたまふ」(同610ページ)
お釈迦さまが私の親友(しんゆう)である、友達であると褒(ほ)めて下さるというご和讃であります。

 日々さまよい続ける私を、お釈迦さまが親友と褒めて下さる時、今度は、自分の思うようにならない人々を受け容れるという広い心が育ちます。

 人間関係の悩みや事件が続く今日、阿弥陀如来に受け容れられた我が身を思い、今度は周りの人々に向かって私の心を開いていきたいものです。

 本山本願寺におきます七百五十回大遠忌法要まで、あと四年と少しになりました。法要を中心とする本山での行事や計画は、皆さまのご協賛、ご協力で心配なく進むと思っていますが、各寺院や門信徒のご家庭でどのような未来図があるのか、少し気にかかるところです。

 親鸞聖人のおこころと教えが、現代人が生きる本当の支え、依りどころとなるよう、身近なところで試みていただきたいと思っております。

本願寺新報2007(平成19)年2月1日号掲載
(WEBサイト用に体裁、ふりがな等を調整しております)