前門様のお言葉

春の法要(立教開宗記念法要) ご門主法話(ご親教)

法話2005/04/15

まことの依りどころを
自分で全て解決できる?

「浄土真宗」に2つの意味

 今日までの三日間、浄土真宗の立教開宗を記念いたしますご法要を、皆さまとご一緒におつとめいたしました。本日のおつとめは、真宗教団連合で制定されました、共通勤行・和訳正信偈と呼ばれるものです。

 立教開宗という文字を見て思いますことは、浄土真宗という言葉には、「教え」と「宗派」という二つの意味があることです。

 親鸞聖人の主要なる著述であります『教行信証』の初めのところに、「つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向(えこう)あり。一つには往相(おうそう)、二つには還相(げんそう)なり」(註釈版聖典135ページ)とありますのは、教えという意味です。お浄土についての真実の教えということであり、宗祖聖人がご生涯をかけて私たちに示してくださったものであります。この『教行信証』の終わりの方に、「わが元仁(げんにん)元年」(同417ページ)という年が書かれています。この年を立教開宗の年と定めています。

 宗派という意味は、おなじみのことですが、お寺や僧侶、門信徒の集まり、宗門のことです。本願寺は、宗祖のご廟・お墓を中心に始まりまして、第八代蓮如上人の時代に飛躍的に拡大し、戦国時代を経ておよそ四百年ほど前に東本願寺が分立しまして、本願寺派と大谷派と二つになりました。

大遠忌に向け強調したい3つ

 今年の一月九日、御正忌報恩講の初日に、「親鸞聖人七百五十回大遠忌についての消息」を発布いたしました。私は、継職いたしましてから満二十八年経ちました。今日まで、たびたび「消息」という文書を発布いたしましたが、今回は大事な項目が多くありまして、全体が少し長くなってしまいました。

 ここで、特に強調したい点を少し申しますと、第一は申すまでもなく私たち一人ひとりが、親鸞聖人のご苦労、ご遺徳を偲び、聖人のみ跡を慕い、念仏者としてしっかりと歩ませていただくということです。

 次に、現代社会や現代生活に即して、み教えを受け止めていく、伝えていくということです。今日、なぜ現代人がお念仏で救われなければならないのかということが、わかりにくくなっています。例えば、高齢者のことを取り上げますと、年金、医療、介護といった社会の制度と関わることが目立ちます。しかし、詳しく見ますと、自分自身が老いをどのように受け入れるのか、周りの若い人びとがどう受け止めるのかという仏教的な課題につながっていきます。

 三番目には、宗門の組織に関わることですが、現在の宗門は、主としてお寺、そのご住職を中心にした門信徒の方々、あるいは講社で成り立っています。しかしながら、人口の移動や生活形態の変化で、お寺とのご縁が薄い方々が増えています。都市開教といわれますような新しいお寺もぜひ必要ですが、同時に門信徒の方々が率先して活動の種類、範囲を広げていただかねばなりません。社会の荒波に翻弄(ほんろう)され、課題を抱えた方々が多くいらっしゃいます。そこへぜひお念仏を伝えたいのです。

救われるとは...

 さて、親鸞聖人のみ教えの特色の一つは、往相回向、還相回向ということにあります。回向とは、本願力の回向、阿弥陀如来さまの救いのはたらきが私に向けられているということです。その中、一つは往相、私が往生成仏するための直接の救いです。それは、南無阿弥陀仏として今、私の所に届いていてくださり、私を往生成仏させてくださるはたらきです。私の人生は、このお救いのはたらきの上にあります。

 還相とは、お浄土で成仏した方が、再びこの土に還(かえ)り、人びとを救うためにはたらいてくださるということです。さとりを開いて仏になれば、人びとを救うためにはたらくということは、ごく自然のようにも見えますけれども、阿弥陀如来の救いの中にはっきりとこのことが示されたことは画期的なことであります。今、還相のおはたらきが私にお念仏をすすめてくださっていると知らされることは、まことに有り難く、また心強いことでもあります。

 ところで、阿弥陀如来さまに救われると申しますと、何か物足りない、頼りないという印象を持つ方があるかもしれません。それは、自分で何でも解決できる、人間の力で解決できると考えるからではないでしょうか。救われるとはどうなることなのかという疑問もあるようです。

 救われるとは、まずお浄土で仏になるということを根本に、この世では私が、我が身そのものがまことの依りどころを得る、阿弥陀さまに受け入れられ、受け止められることです。ですから私は、安心して自分の力を尽くして生きるのです。行き先がわからず、右往左往するのではなく、迷いを超えたおさとりへと、人生の方向が定まります。私が迷いを越える道を進めば、周りの人びとを迷わせることも少なくなるでしょう。

 お念仏申し、共に手を取って御同朋御同行の道を歩ませていただきましょう。

本願寺新報2005(平成17)年5月1日号掲載
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