前門様のお言葉

御正忌報恩講 ご門主法話(ご親教)

法話2004/01/16

私の都合に合わせて聞法するのではない

 今年のご正忌報恩講も、多くの方々のご出勤、ご参拝を得まして、おつとめをし、本日、大逮夜(おおたいや)を迎えました。
 工事が始まってちょうど五年になります御影堂のご修復は、関係者の方々のご努力によりまして、順調に運び、工期半ばになりました。今、瓦を葺く作業や彩色、壁塗りなどが行われています。事情の許す方は、ぜひ見学なさってください。

 さて、報恩講は、私たちが宗祖親鸞聖人に身をもってご恩報謝する機会であります。各地の寺院、さらには門信徒のお宅においても行われています。本願寺でおつとめする法要としても、最も大切なものであることは申すまでもありません。あらためてこの機会に、親鸞聖人のおこころをたずね、ご苦労の意味を味わいたいと思います。

 今日、日本国内は申すまでもなく、各地で悲惨な事件が起こります。その中に、しばしば、なぜこのようなことが起こるのか、理解しにくい事件があります。直接の対処方法は別として、広い意味でこの社会に生きる私たちが、生きる意味や生きる喜びを見失っていることと深い関わりがあるように感じられます。ただ便利で面白いことを追い求める、人間をもののように扱う、さらには、互いに支え合ういのちであることを、否定するかのような競争や暴力、これらは生きる意味や喜びを感じさせるものではありません。

 親鸞聖人が生死(しょうじ)出(い)づべき道を求め、法然上人にお出遇(あ)いになり、阿弥陀如来のご本願によって生き抜かれたことは、便利で豊かな生活をする道とは違った方向から、人生の問題を解決なさったということであります。現代人にはわかりにくいことでありますが、それゆえにこそ、しっかりと聞かせていただきたいことでもあります。

 まず大切なことは、私の都合に合わせて仏法を聴聞するのではない、ということです。

 一般に、宗教は弱い人、悩みのある人が求めるもの、という印象があるようです。悩みは大切なご縁に違いありませんが、悩みに対処するだけで終わってしまったならば、一時的な気休めであったり、自分の利益を求めることで終わったりしてしまいます。仏法を聴聞することはまず、悩みを感じていても感じていなくても、私が真実に背いた生き方をしていること、限りあるいのちであることをおろそかにして生きているということを、知らせていただくことであります。

 わが身の煩悩をいかに見つめても、それだけでは問題は解決せず、生きる喜びは見つかりません。煩悩のわが身を照らし、よび続けてくださる真実のはたらきに気付き、応えて生きるところに喜びがわいてきます。

 親鸞聖人は御歳二十九歳の時、雑行(ぞうぎょう)を棄(す)てて本願に帰(き)されたと記していらっしゃいます。いのちの問題を、私が善根(ぜんごん)を積み上げて解決する道から逆転されて、阿弥陀如来のはたらきに依る道に遇われたのであります。

 美しいものを見てから死にたいという意味の詩を詠んだ方がいらっしゃると聞きました。この詩を紹介された方が、その美しいという意味は、この世のものとも思えないほどの美しさであると解説してくださいました。これを音楽、美しい音にも言い換えることができるかもしれません。これらを受けまして、私はこの世のものとも思えない真実、まことの言葉を聞くならば、この世に生きた甲斐がある、この世に生きる意味が満たされていると表現したいと思います。まことの言葉とは六字の名号、南無阿弥陀仏であります。

 親鸞聖人はご和讃に「たとひ大千世界に みてらん火をもすぎゆきて 仏の御名(みな)をきくひとは ながく不退にかなふなり」(註釈版聖典561頁)と詠われました。

 自分で作ったもの、人間がすることは、ある時、ある場所では役に立ちます。しかし、それ以上ではありません。

 南無阿弥陀仏となって今、私をよび続けていてくださる阿弥陀如来さまの限りない智慧とお慈悲こそ、真実、まことであります。ですから、南無阿弥陀仏とお念仏申して、阿弥陀さまを讃える身にならせていただくということは、まことに素晴らしいことであります。

 今日の私たちの課題には、「後生(ごしょう)の一大事」と表現されるような、私自身の課題、そしてこのみ教えを広く伝えていくということとともに、また、念仏者としていかに世の中に働きかけるか、ということがあります。仏教的な考え方、浄土真宗的な考え方によって、世の悩みに光を当てる、世界の平和に貢献することを考えたいと思います。

 ものごとが相い依り、支え合って成り立つという縁起の考え方、ともにこれ凡夫、という人間の見方によって、争いのない節度のある世の中を築くこと、幼い子も高齢者も支え合って生きられる社会を築くことなど、身近な事柄を通じて、できることも少なくないと思います。

 報恩講をご縁に、宗祖親鸞聖人のおこころに応えて生きる日々を、お念仏申して過ごさせていただきましょう。

 合掌

本願寺新報2004(平成16)年2月1日号掲載
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