前門様のお言葉

門信徒会運動40周年・門徒推進員20周年記念大会

法話2002/12/01

 このたび、門信徒会運動四十周年・門徒推進員二十周年記念法要を皆さまとご一緒におつとめすることができました。

 門信徒会運動が始まった四十年前の日本は、敗戦後の混乱から立ち直ってきた時期でありますが、義務教育を終えたばかりの若い人びとをはじめ、多くの人びとが農山漁村から都市へ移り住むようになりました。そこでは、新しい宗教教団が活発な動きを見せ、伝統的な生き方をしない人びとが増える一方、故郷のお寺や宗門の将来が不安に感じられ、危機意識がひろがりました。一九六一年(昭和三十六年)は親鸞聖人の大遠忌に当たり、法要を機縁に、宗門を活性化し、時代に即してあるべき姿を目指そうという気運が高まりました。本年(2002年)六月遷化された勝如上人は、「宗祖親鸞聖人七百回大遠忌御満座の消息」において、真実信心の喜びに生き、ご法義の繁盛に情熱を傾ける人を育成することの重要性を強調されました。

 この危機感に裏付けされた願いとともに、提唱されたのが門信徒会運動です。当初は門信徒の組織化が中心でしたが、その後、私と教団の体質を改めること、壮年会活動や全員聞法・全員伝道など種々の目標と実践が提唱され、多くの成果を挙げてきました。中でも、門徒推進員の誕生は重要な成果の一つです。今から二十四年前、門徒推進員の養成を目的として、教団の方針として始められた連続研修会は、自分の問いを持ってみ教えに聞くことを大切にしてきました。ですから、「話し合い法座」によって、み教えそのものを学ぶだけでなく、生活や社会のさまざまな課題をみ教えに問い聞く姿勢を育んできました。連研を終了され、中央教修を受講された中から、すでに、五千名を超える方がたが門徒推進員となり、僧侶と共に、ご法義を喜び、基幹運動を推進して下さるようになりました。今までの習慣でお寺とつながる門信徒のあり方や受け身の姿勢を越え、同じ教えに生きる朋となった門信徒の姿であります。門徒推進員の皆さまには、今後とも、宗門に新しい風を吹き込み、情熱を持って歩んで下さることを念願いたします。

 南方仏教に伝えられる経典によりますと、ある時、阿難尊者はお釈迦さまに尋ねられました。「大徳よ、私たちが、善き友をもち、善き仲間とともにあるということは、すでにこの聖なる道の半ばを成就したに等しいと思いますが、いかがでしょうか」。すると、お釈迦さまは「阿難よ、善き友をもち、善き仲間とともにあるということは、この聖なる道の半ばにあるのではなくして、まったくそのすべてなのである」(相応部四五)とお答えになっています。
また、宗祖親鸞聖人は、ご和讃に「他力の信心うるひとを うやまひおほきによろこべば すなはちわが親友ぞと 教主世尊はほめたまふ」(正像末和讃)と述べられました。

 今まで当てにし頼りにしてきた仕事や家庭を始めとする戦後社会の価値観が揺らぎ、少子高齢化社会の難問が広がる中、生きる力を見失っていく人びとが増え続けています。お念仏のみ教えは迷いのなかにある私に、自らを見失うことなく、苦難の中に希望を見いだす生き方を示して下さいます。その歩みを共にする仲間に出会うことは、み教えをいただくことと同じ意味を持つと、お釈迦さま、親鸞さまが教えて下さいました。

 今日、人間の思い上がりは止まるところを知りません。私を凡夫であると知らしめ、南無阿弥陀仏によって迷いを越えさせて下さる浄土真宗の教えの意義はいっそう高まっています。信心獲得の身となり、往生成仏の道を歩ませていただくという願いと喜びが聞法と伝道の活動となって門信徒会運動を推進し、阿弥陀如来のお慈悲の中にあるいのちの尊さ素晴らしさの自覚が同朋運動を支え、同朋教団の再生・御同朋の社会をめざす宗門の基幹運動として進められています。しかしながら、運動が僧侶に偏りがちな今日、従来の僧侶・門徒・住職・坊守、あるいは男性・女性といった固定的な役割区分を見直し、同じ教えをいただく仲間として新たな関係を育てること、わかりやすく取り組みやすいかどうか、外に十分開かれているかどうかなどの課題もありましょう。

 四十周年に当たり、今日まで運動を推進して下さった方がたに感謝を捧げますとともに、今後、より広く深く宗門全体にひろがり、仏法が混迷の世に生きる人びとを支え導く灯火として受け入れられるよう努める思いを新たにいたします。

 合掌

本願寺新報2003(平成15)年1月10日号掲載
(WEBサイト用に体裁、ふりがな等を調整しております)