前門様のお言葉

秋の法要(全国門徒総追悼法要) ご門主法話(ご親教)

法話2002/11/23

 昨日、本日と全国門徒総追悼法要を皆さまとご一緒におつとめさせていただきました。
名前の通りこの一年に往生された全国のご門徒の方々を偲び、経典を拝読し、阿弥陀さまのお慈悲を味わい、お念仏申したひとときでございます。

基本的課題を身をもって

 皆さまもお近い方、お知り合いの方、この世でのお別れをされた方々がいらっしゃることと思います。私のことも後ほど触れますが、考えてみますと、お念仏とともに生き抜かれたご門徒の方々、私たちの先輩という意味で「総追悼法要」という言葉になると思いますが、私たちにとっては、この世でお別れをしたのは、必ずしも浄土真宗のご門徒とは限らない親しい方がたくさんいらっしゃいます。そういう方々のことも、ご門徒ではないにしても、やはり生死の大事な問題を私たちに教えつつこの世を去られたということで、お徳を思いつつ、ご法要にお参りするということが言えるのではないでしょうか。

 お念仏とともに生き抜かれた方々のご生涯を学ぶということは、誠に大事なことであります。「平生業成(へいぜいごうじょう)」という大事なお言葉がありますが、日々の暮らしの上に阿弥陀さまのお慈悲をいただいて、往生成仏の道を歩ませていただくというのが浄土真宗・念仏者のあるべき姿であります。

 しかしながら、私たちの親しい方々、よく知っている方々、必ずしもお念仏のご縁が厚いとは限りませんけれども、それぞれに二度とない人生を精いっぱい生き抜かれた方々であります。そこからも私たちはさまざまなことを学ぶことができます。

 老・病・死という仏教の基本的なとらえ方、人間の持っている根本的な課題を、身をもって教えて下さったのです。大事なことは「先人の方々が、どこへ行かれたか」と、行き先をこちらが心配するよりも、反対に「私たちがどっちへ向いてこの人生を歩んでいるか」ということを先立って逝かれた方々が心配して下さっているのではないかということです。

おろそかに過ごせない

 もちろん阿弥陀さまが、親鸞聖人が心配して下さっているところでありますが、先人の方々もまた私たちのことを心配していて下さる、そう思いますと私たちは一刻一刻、大切なひととき、大切ないのちをおろそかに過ごすことはできないことに気付かされます。阿弥陀さまのお慈悲の中に、恵まれたいのちを精いっぱい生き抜かせていただきたいと思う ことでございます。

 さてご承知のように、本願寺の前門主、私にとりましては先代でありますとともに実の父にあたりますが、勝如門主が今年の六月十四日、遷化(せんげ)されました。往生成仏をされたということであります。

 満九十歳七ヵ月余りのご生涯で、本願寺歴代では宗祖親鸞聖人が、数え年九十歳の最高齢でいらっしゃいましたが、それを越す長寿を保たれました。門主としての在職五十年、その後、引退をされて、いわばご隠居の生活が二十五年余りあったということになります。

 そばにおりまして感じましたことは、この世で成すべきことを成し終えてお浄土へ往生されたというのが率直なところです。明治の末に誕生され、大正時代、学生時代を過ごされ、昭和の戦争軍国主義が厳しくなっていくころから門主としての務めに当たられました。敗戦・戦後の復興と、本当に波瀾万丈の時代を宗門とともに歩まれました。

 そして、その後も比較的健康に恵まれて九十歳まで長寿を保たれたのであります。高齢者としては、かなり恵まれた生活であったと思います。宗門の皆さまからの温かい支えによって、恵まれた晩年を過ごされたと思うのですけれども、それでも、高齢・老ということは大変なことであるということをしみじみと思いました。次第に体が不自由になっていく、立ちい振る舞いもなかなか思うようにいかない、今までできたことが一つずつできなくなっていく、年をとるということを身近に身をもって示して下さったと、味わっています。条件に恵まれていても大変なつらいことを、条件が欠けておれば、さらに一層大変な生活になるであろうと想像したところであります。

常に私たちにはたらきかけ

 浄土真宗の教えからは、どのような歳の取り方、どのような最期を迎えるかという形にとらわれることなく、阿弥陀さまのお慈悲の中に日々を過ごしていくということの大切さを思います。先ほど申しました「平生業成」とは、死が迫ってからあわてて聴聞してお念仏を申すということではなくて、今この時に阿弥陀さまのお慈悲、南無阿弥陀仏をいただく身になって往生成仏定まって、その後はご恩報謝の生活をしていくことです。歳を取ると、思う時に、思う場所で聴聞することができなくなります。お念仏申そうにも、声が十分でなくなってくるということもあります。阿弥陀さまにおまかせするしかないことをあらためて思いますとともに大事な問題を先送りしてしまうのではなくて、いま解決しておかねばならないということを思ったことであります。

 しかし、先立って往かれた方々は還相回向(げんそうえこう)の阿弥陀さまのおはたらきによって、常に私たちにはたらきかけていて下さいます。

 最後に親鸞聖人のご和讃を拝読して締めくくりたいと思います。
「願土にいたればすみやかに 無上涅槃を証してぞ すなわち大悲をおこすなり これを回向となづけたり」(註釈版聖典581ページ)。
回向のはたらきによって、いま私たちはお念仏申す身にさせていただいているのです。

 合掌

本願寺新報2002(平成14)年12月20日号より
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