前門様のお言葉

春の法要(立教開宗記念法要) ご門主法話(ご親教)

法話2001/04/15

お浄土からのはたらき 生きる姿勢育てられる

 ただ今は皆さまとご一緒に立教開宗記念法要として正信偈共通勤行をおつとめすることができました。まずこの共通勤行とは、浄土真宗各派に共通するということです。親鸞聖人を宗祖と仰ぎながら宗派が違うと節(ふし)が違うために、一緒におつとめすることが難しかったのですが、今から三十年ほど前に真宗教団連合という組織ができまして、そこで共通勤行が制定されました。

 各派のお寺が混在している地域では、すでに活用され、親しまれているところが何ヵ所もありますが、本願寺派だけが集中しているというような場所ではあまり普及していないようで少し残念であります。

 ここに用いられています正信偈の意訳は、もともと本願寺派で五十年ほど前に制定されました「しんじんのうた」から採用されたものですし、現代的な節、メロディーがついていますので、伝統的なお経は意味がわからないとか、雰囲気が合わないという方にもぜひ聞き、また唱(とな)えていただきたいと願っております。このままでは、伝統教団は次の世代の方々から見放されたり、消えてしまうのではないかと心配をいたしております。

 さて、立教開宗ということは、文字の通り、教えを立て宗を開くという意味で、親鸞聖人が浄土真宗をお開きくださったことを言います。浄土真宗とは今日では宗派の名前、つまりお寺や人々のグループを示す言葉として用いられていますが、親鸞聖人ご自身においては、まず浄土真宗という教えの意味でした。ですから、この言葉を解釈すると、おのずから大事な点が明らかになります。

浄土とは阿弥陀さまの国土

 浄土とは阿弥陀さまの国土のことです。極楽という言葉が普及していますが、親鸞聖人はあまりお使いになりませんでした。想像いたしますと、極楽は世俗の楽しみと誤解されるような印象を与えるからかもしれません。それに対して浄土は、清らかな国土ということですから、煩悩の汚れのないところ、おさとりの世界を示すのにふさわしいといえましょう。親鸞聖人は限りない光の国土、無量光明土(むりょうこうみょうど)と説いてくださいました。先ほどの意訳では、
「ひかりの国にいたりてはあまたの人を救うべし」
という言葉になっていました。それは私が、この世を終えて生まれさせていただく世界というだけではなくて、十劫といわれる遠い昔から阿弥陀如来さまと一体になって、私たちにはたらきかけてくる世界でもあります。ですからお浄土は、今ここにいる私と切り離されたところではありません。私たちは常にお浄土からのはたらきを受けてこの世を生きているのです。

阿弥陀さまと同体のさとり

 そして、阿弥陀如来さまのお救いを疑わないようになる、信心の身になると、お浄土に生まれることに定まるとして、「即得往生」と言い表されました。この世ではまだお浄土に生まれているわけではありませんけれども、いつ、どのような状態で、この世の命が終わっても、即座にお浄土に生まれて、阿弥陀さまと同体のさとりを開くのです。

 現代社会では私たちはさまざまの問題、課題を抱えています。最近気になりますことの一つは、人々の心が傷つきやすいということであります。言い換えますと、自分のいのちに自信や誇りを持って生きられないということであります。それが自らのいのちを粗末にし、他のいのちを傷つけることにつながっているように感じられます。

 阿弥陀如来さまに照らされ、よびかけられていることに気付くとき、凡夫でありながら同時に輝くいのちであることがわかります。そして、いのちに自信を持って生きる姿勢が育てられます。それは、また他のいのちへと開かれた生き方へとつながっていくのです。お念仏申しつつ、共に手をとって歩ませていただきましょう。

 合掌

本願寺新報2001(平成13)年5月1日号掲載
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