前門様のお言葉

蓮如上人500回遠忌法要 ご門主法話(ご親教)【1998(平成10)年3月から11月】

法話1998/03/01

遠忌法要におけるご親教

ご門主は、百日間厳修された遠忌法要で毎座ご親教を述べられたが、基本日程日(団参を中心にした法要日)のご親教(全文)は、次の通り。

 本日は、各地よりご参拝の皆さまとご一緒に「蓮如上人五百回遠忌法要」をお勤めできました。また、ご法要を迎えるに当たり、多くの方々からお志を寄せていただきました。まことに有り難く存じます。

 蓮如上人のご事績につきましては、「参拝のしおり」や記念に製作されました出版物、ビデオテープ等をぜひご覧いただくとしまして、ここでは、上人から何を学び、何を現代に生かすかを考えてみます。

 蓮如上人は「聖人一流の御勧化(ごかんけ)のおもむきは、信心をもって本とせられ候ふ」と述べられ、宗祖親鸞聖人の教えの要(かなめ)は信心であることを明確にされました。今日の日本語で「信心」と申しますと、さまざまの宗教に通じますので、異なった意味に理解されたり、曖昧(あいまい)になったりいたします。浄土真宗の信心は阿弥陀如来からたまわる信心、南無阿弥陀仏が私に至り届くことであります。苦しいから助けていただきたいとお願いすることでもなく、念仏を称えた功徳によって救われることでもなく、反対に阿弥陀如来が既に、私の喜びも悲しみも、そして煩悩のすべてを見抜いて常に喚(よ)んでいてくださることなのです。

 この阿弥陀如来のお喚び声である南無阿弥陀仏をいただくところに、お浄土への人生、成仏への人生が始まります。それは狭い自分だけのいのちに閉じられていた私が、広いいのちの繋(つな)がり、限りないいのちに向かって開かれることであります。人生についての考え方が変わること、阿弥陀如来の願いに応える人生になることといえましょう。南無阿弥陀仏がいのちの依り所となってくださいますから、御同朋御同行と手を取って歩む道、あらゆるいのちを大切にする生き方が開かれてきます。

 今、地球上のいのちは、危機にあります。進歩発展自由競争という美しい言葉のもとに、力の強い者が弱い者を圧倒し、地球環境が破壊されています。核兵器の開発拡散がさらに進みました。人間の智慧、科学技術の用い方を根本から考え直すとともに、私たち一人ひとりの生き方も顧みなければなりません。欲望を無制限に拡げるのでもなく、無理やり押さえつけるのでもなく、阿弥陀如来の光の中に、いのちのつながりを実感し、しっかりと、そして、自由にのびのびと生きてゆきたいものです。

 次に、具体的なお願いを申します。まず、門信徒の方々のお住まいに、ご本尊お仏壇をそなえていただきたいということです。当たり前ではないかとお感じになるかもしれませんが、いわゆるご本家だけではなく、故郷を離れた方、ひとり住まいの学生の方にもご本尊を安置していただきたいのです。すべての方に、ご本尊の前で、いのちのあり方を顧み、その大切さを受け止めていただきたいのです。かたち無しに、現代の子や孫にお念仏を伝えることは簡単ではありません。

 次は、お寺からのお便りを門信徒の方、お一人おひとりに届けていただきたいということです。すでに、行っていらっしゃるお寺が少なくありませんが、その大切さを門信徒の皆さまにも理解していただき、ご協力をお願いしたいのです。理想を言えば、すべての方にお寺での法座にお参りしていただくことですが、現代日本の社会を考えますと、それは到底望めることではありません。故郷を離れた方の中には、自分のお寺や宗派の名前も知らない方が増えています。お寺からのお便りこそ「御文章」ご製作の精神を現代に生かすことではないでしょうか。

 これは、ご住職だけにお願いすることではなく、むしろ、青年会、壮年会や婦人会の活動として、取り上げていただきたいことです。お寺との交流が深まれば、門信徒の方々相互の交流が深まります。既に連続研修を進めていらっしゃる組(そ)が多くありますが、それとともに、広く、話し合い法座が開かれることは蓮如上人の願いを今日に実現することになります。

 皆さまも、蓮如上人について、お考えをおまとめになり、身近なところで生かしていただきたいと願っております。

 なお、私たちの宗門は、宗教教団として社会的責任を負っています。宗祖親鸞聖人そして蓮如上人のおこころにそってその責任を果たすことができますようにと、思いを新たにいたしております。

 先人の方々が、南無阿弥陀仏とお念仏申して歩まれた道を、私たちも南無阿弥陀仏とお念仏申して歩ませていただきましょう。