わが身をかえりみる -阿弥陀さまのおこころを鏡とする生き方-
寺尾 仁
布教使 広島市・明法寺住職

浄土真宗の生活信条
「浄土真宗の生活信条」は、皆さんよくご存じのことと思います。私は中でも「み仏の光りをあおぎ 常にわが身をかえりみて 感謝のうちに励みます」という言葉がいつも胸につきささるのです。
私たちの社会はどうも、「自分をかえりみる」「見つめ直す」ということが大事にされていないことが多くなっているように感じます。
この春、家族とドライブした時のことです。海が見えるカフェに入りました。私と妻はコーヒー、長女はジュース、次女はアイスココアを注文しました。しばらくして運ばれてきた飲み物を見て、次女が「あっ」と言ったのです。
その声を聞いた女性の店員さんがすぐに、「申し訳ございません。すぐに取り替えてまいります」と謝られたのです。実は間違えて、ホットココアを運んでこられたのでした。
でも妻は、「大丈夫です。このココアでいいです」と言って、次女も「いいよ」と笑顔でした。
それでも、「いえ、替えてきます」と店員さん。こちらも、「本当に大丈夫ですから」と言いましたが、店員さんは再度、「申し訳ございませんでした」と言ってさがっていかれました。
その後、会計をしようとレジに行くと、同じ店員さんが「先ほどのココアの代金は結構です」と言われたのです。
「いや、それではかえって申し訳ないから、払います」と言ったのですが、店員さんはニコッと笑って、「本当に申し訳ございませんでした」と言ってココア以外の代金を受け取られ、私もその厚意に甘えたことでした。
代金まで受け取らないというのはさすがに想像していませんでしたが、飲食店として、謝るという行為は当然なのかもしれません。けれども、その店員さんの誠意がこもった対応には、すがすがしさを覚えたことでした。
なぜなら、少し大げさな言い方かもしれませんが、店員さんは自らの行(おこな)いを恥じ、責任を負っていこうとする態度を明らかに示してくれたからです。そのことが伝わった私たちは、人としての大切なあり方をあらためて感じさせてもらったことでした。
慚愧しきれない私
「慚愧(ざんぎ)のないものは人とは呼ばず」
「慚愧があるから父や母、兄弟姉妹の関係もたもたれる」
これは、親鸞聖人が、『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』に引用された『涅槃経(ねはんぎょう)』のお言葉です(現代語版『教行信証』277ページ)。父を殺害して苦しむ阿闍世(あじゃせ)王に、医者の耆婆(ぎば)が語った言葉です。
そこには、自らの罪の現実を無視するのではなく、自らの罪の現実に向き合い、二度と罪をつくらない、また人に罪をつくらせないことが大切だと示されています。
そして、慚愧がないものは人とは呼ばないとまで言い切って、さらに、慚愧をしてこそ人間関係がたもたれると教えています。
「恥じる」という言葉があります。「恥じる」とは、恥ずかしいと思う気持ちです。「良心がとがめ、誤りに気づき、他人に顔向けできないと思うこと」とされます。この「恥ずかしい」という心が、今の社会、現代の私たちには、だんだん薄れてきていると思うのです。
私は恥ずかしいと思う気持ちは、とても大事なことだと思います。
ところで、親鸞聖人は『正像末和讃(しょうぞうまつわさん)』に、
無慚(むざん)無愧(むぎ)のこの身にて
まことのこころはなけれども
弥陀の回向(えこう)の御名(みな)なれば
功徳は十方にみちたまふ
(註釈版聖典617ページ)
とお示しくださいました。
どんなに慚愧してもしきれないのが私である、という厳しいお言葉です。いくら慚愧する、罪を恥じるといっても、どうしても自分を正当化して、自己中心的な思いから抜け出すことはできません。つい、心のどこかで「仕方がない」と思う私がいます。そのことを阿弥陀さまは見抜いてくださって、南無阿弥陀仏というまことの心を依りどころとするようにはたらいてくださっています。
ですから、「浄土真宗の生活信条」には、「み仏の光りをあおぎ」とあるのでした。自分勝手にわが身を振り返り慚愧するのではなく、常に阿弥陀さまのおこころを鏡とするのです。自己の都合を中心としていないだろうか、自分のことを正当化していないだろうかと思うその姿が、すでにお念仏申す人生を歩んでいるということであり、阿弥陀さまのおはたらきの中にあるということでしょう。
今こそ「常にわが身をかえりみる」、そして「感謝のうちに励む」生き方を大事にしたいと思います。
(本願寺新報 2018年07月01日号掲載)
本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より
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