読むお坊さんのお話

タカラモノ -階段が織りなす仏縁-

藤澤 めぐみ(ふじさわ めぐみ)

布教使 京都市伏見区・興禅寺住職

わずか3段の階段

 うちのお寺の本堂には、わずか3段の階段があります。お寺にとってその階段が、「かけがえのない宝物」なのだと気づかせていただく出来事がありました。

 20年前に本堂を再建した時、その階段をめぐって、スロープをつけようとか、真ん中に手すりをつけようとか、はたまたエレベーターをつけようとか、バリアフリー化に向けていろいろ議論しましたが、スペースもなく、「わずか3段だから」ということで階段のみになりました。

 無事に本堂が完成し、多くの方がお参りくださるようになりました。その中に、いつもお揃(そろ)いの手押し車を押しながら仲良くお参りされる二人のご婦人の姿がありました。一人は当時102歳のユタさん、そしてもう一人は92歳のスギエさんでした。

 本堂前に手押し車を置き、二人並んで階段を上がろうとされるのですが、スタスタと階段を上がられる102歳のユタさんに対して、92歳のスギエさんは、「よっこらしょ、どっこいしょ」と〝わずか3段〟の階段に、欄干(らんかん)をつたいながら苦戦されています。

 やはりスロープをつけるべきだったかと思っていましたら、先に上ったユタさんが振り返り、「私の手につかまって上がりいやぁ」と、スギエさんに向かって手を差しのべられます。

 その言葉にスギエさんは、ユタさんの手につかまるのかと思いきや、「そんな100歳超えたおばあちゃんの、シワシワの手ぇにつかまるより、わたしゃ、若い男さんの手の方がええわ」とおっしゃるのです。するとユタさんも負けていません。

 「そうかいな。私も、90超えたあんたの手を引っ張るより、若い男さんの手を引っ張る方が若返るわ」と。

 そして二人は大声で笑いあうのです。すると、その会話を聞いていた男性数人が「ほんなら、わしの手につかまりいや」と本堂の中から走り寄って手を差し出します。

 するとスギエさん、その中でも一番若い(といっても60歳は過ぎておられるのですが)男性の手を選び、ほかの方からも背中を支えてもらったり、かけ声をかけてもらったりしながら、本堂入口まで上がられました。

 ユタさんも「よかった、よかった。これで一緒に阿弥陀さんの前でお念仏できますなぁ」と大喜び。みんなで手をとりあって阿弥陀さまの前まで進み、どっこいしょと横一列に座って、ナンマンダブ、ナンマンダブとお念仏されました。

 〝わずか3段〟の上りにくい階段は、スギエさんとユタさん、そしてお参りに来られるみんなをお念仏つながりにする階段でした。

雨の日も風の日も

 その階段の欄干にも、やがて年月とともにひび割れが目立つようになりました。すると総代さんや世話方さんたちが「お寺は私らの宝ものやし、この階段も欄干も大事なもんやから、ずっとずっと残っていてほしい」と言ってくださり、修復することになりました。

 ほどなくして、ひび割れた欄干は洗いにかけられ、本堂の柱の色に合わせて色も塗っていただき、欄干は見事に新築の頃のようによみがえりました。

 ところが、総代のお一人が、その欄干のひび割れた部分が気になると、さらに「とのこ」を塗って修復を加えられます。「みんなが上る時に支えにする欄干やから、ささくれたりヒビが入っていたら危ない」とおっしゃるのです。

 大工さんでも塗装屋さんでもない総代さんは、雨の日も風の日も、お寺にやって来てはやすりをかけて、「とのこ」を塗って、やがて手触りのやわらかい欄干に仕上げてくださいました。

 今、ユタさんもスギエさんもご往生され、二人のことを知る人も少なくなりました。けれども欄干は、二人の笑顔とお念仏を引き継いで、これからも多くのご門徒を阿弥陀さまの前へと押し上げていくのでしょう。

 〝わずか3段の階段〟と、やわらかな手触りの欄干。そこに「お寺は私らの宝もの」とおっしゃってくださる世話方さんの言葉が重なって、これからも人から人へ、宝ものである「お念仏」が、笑顔とともに伝えられていきます。

(本願寺新報 2018年06月10日号掲載)

本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より

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