読むお坊さんのお話

独りじゃないよ-ただ分かれるだけでは終わらない人生-

和氣 秀剛(わけ しゅうごう)

布教使 奈良県五條市・圓光寺住職

「しあわせ」とは

 「いつか別れがやってくる」ということを思いながら、ご門徒のお宅へお参りするようになりました。

 私が初めてお参りに行ったのは、今から二十数年前、お得度を受け、僧侶にならせていただいたすぐ後でした。

 父の代わりに初めてお参りしたその日、まだ高校生だった私を、母がご門徒のお宅へ送ってくれました。

 「不安やわ...」と母に言ったのですが、「大丈夫、心配ない。あとで迎えに来るからね」と車を降ろされました。不安を抱えたままのお参りでしたが、それからも父の代わりにお参りに行くことがあり、運転免許を取ってからは一人でお参りに行けるようになりました。何度もお参りをしている間に、いつしか不安を感じなくなっていました。

 私が26歳の夏、住職であった父が突然亡くなりました。当時、私は京都で仕事をしていましたので、ご門徒のお参りは私の予定に日を合わせていただけるようになっていきました。

 そして、父が亡くなってから数年が経ちました。僧侶になって初めてお参りしたご門徒のお宅にうかがった時のことです。毎月、ご夫婦でお参りされ、いつものように一緒におつとめした後にいろいろお話をしていると、突然、奥さまから「この人、『あなたのお父さんの代わりになるんや』って言うたんですよ」という言葉が飛び出しました。

 「えっ?」と聞き返すと、「お父さんが亡くなった日の夜遅く、うちに連絡あったでしょ。この人、『すぐにお寺の明かりつけて、住職を迎える準備せなあかん』って家を飛び出して行ったのよ」と話してくださいました。

 あの日の夜、私は帰ってくる父を迎えるために病院から急いでお寺に戻っていました。お寺に着くと、誰もいないはずなのに本堂や家に明かりがついていました。

 「あの時はビックリして、〝ただいま〟って玄関に飛び込みました」とお話しすると、「そう! 玄関から入ってきたあなたの疲れた顔を見て、『えらいことになった。お父さんの代わりになって支えたらなあかん』って思ったんですって」と教えてくださいました。

 この時まで、私はまったく気づいていませんでした。初めてお参りした日からずっと、私の成長をいつもそばで見ながら支え続けてくださっていたのです。いつの間にか不安を感じなくなって、今日まで何とか歩んでこられたのも、支え続けられていたからだったのです。

得難い日を今日も

 そんなお二人とも、やがてお別れのときがやってきました。現在は、息子さん夫婦が後を継いでおられます。「南無阿弥陀仏」とお念仏するたびに、お育ていただいた日々を思い出します。

 別れは、さびしいものです。けれど、阿弥陀さまをご本尊と仰(あお)ぎ、「南無阿弥陀仏」とご一緒にお念仏申させていただいた日々は、今も私の支えとなっています。

 阿弥陀さまは、私たち一人ひとりのいのちを「ひとり子」のように、大いなるお慈悲の心をもってお育てになられていると、お釈迦さまは仰(おお)せになられました。

 「あなたを支え、その苦しみを取り除きたい」という願いが、どのいのちにも平等に澍(そそ)がれているのです。私たちは独りで生きていけません。独りではなかったからこそ、今日まで生きてこられたのです。

 「独りじゃなかった」と気づくその生活の中に、聞こえてくるお言葉が南無阿弥陀仏であり、お念仏に導かれて豊かに生き抜いていける道が開かれていくのです。

 「いつか別れがやってくる」

 でも、「ただ別れるだけではない」のです。今は、息子さんとご両親の思い出話に花が咲きます。お父さまがお亡くなりになった頃は、「これからは、父の代わりに母を支えていきます」とおっしゃっていました。お母さまがお亡くなりになってからは、「今は夫婦でお仏壇にお参りするようになりました」と、うれしそうにお話しされます。そのお姿に、今もお父さまやお母さまのおこころに育てられているなあと感じます。

 支えられ、生かされていると気づかせていただいたからこそ、「いつか別れがやってくる」ことを大切に思えるようになったのだと思います。南無阿弥陀仏の大いなるお慈悲を学ばせていただく得難い一日を、今日も恵まれています。

(本願寺新報 2018年03月10日号掲載)

本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より

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