何度繰り返しても初-ご法話を批判して聞いている私-
鎌田 宗雲
中央仏教学院講師 滋賀県愛荘町・報恩寺住職

聴聞をかさねても
私は、いつも『蓮如上人御一代記聞書(ごいちだいきききがき)』を味わっています。その一七四条に、
「おどろかすかひこそなけれ村雀(むらすずめ) 耳なれぬればなるこにぞのる」、この歌を御引(おんひ)きありて折々(おりおり)仰(おお)せられ候(そうろ)ふ。ただ人はみな耳なれ雀なりと仰(おお)せられしと云々(うんぬん)。
(註釈版聖典・千286ページ)
とあります。
これは、雀がなれてくると、鳴子(なるこ)の上にとまるようになりますが、同じようなことが念仏者にもいえるようです。はじめは感動していた人も、いつしか感動がなくなり、まるで雀のようです、と誡(いまし)められているお言葉です。何度お聴聞をかさねても、初事(はつごと)として聞き、アミダさまのおたすけにまちがいない、と聞きつづけるのがお聴聞です。
この蓮如上人のお言葉は、「おまえはどうなんだ」と、私に問いかけているようにひびいてきます。
私は、葬儀をおつとめするたびに、「おまえも必ず死ぬのだぞ。むなしく過ごすな」と言われていると思って、人の死とむきあってきました。しかし、しばらくすると、どうでしょう。お恥ずかしいかぎりです。上人から、「仏法をわが身にいただきながら生きているのか」と、諭(さと)されている気がいつもしています。仏法を生活の中でいただいて生きていくのだと伝えてくださっていると、ありがたく、繰り返しいただいているお言葉です。
「よくお気づきに」
以前、広島にご法座のご縁でうかがった時に、ご住職から大瀛和上(だいえいわじょう)のエピソードをお聞きしたことがありました。うろ覚えですが、お聴聞の真髄(しんずい)を知らされた話でした。
若い夫婦がお寺に参ってきて、「今日は父の命日なので、おつとめとご法話をお願いします」と、お願いしたそうです。和上はおつとめをし、御文章(ごぶんしょう)の「聖人一流(しょうにんいちりゅう)章」を拝読しました。夫婦は、これから世に聞こえた和上のありがたい法話が聞けると、頭をたれて待っていました。ところが、ご法話をするどころか、「聖人一流章」を繰り返して拝読されるだけでした。
たまりかねた夫婦は、「御院家(ごいんげ)さま、この御文章は、そらんじるほど聞いて覚えています。ですから、父の命日のためにありがたいご法話をお願いします」と丁重にお願いしたそうです。
それを聞いた和上は、何も言わずに庫裏(くり)にもどってしまいました。
本堂に残っている夫婦はぼう然としながら、お互いに顔を見合わせて、「何か失礼なことを言ったのだろうか」と言い合っていたそうです。わけがわかりません。
しばらくご本尊を仰ぎ見ながらお念仏を申していた夫が、法座で聞いたことに思い当たり、すぐに庫裏に走っていったそうです。そして、泣かんばかりに、「御院家(ごいんけ)さま、もう一度、私のために御文章をお聞かせください」とお願いしました。
これを聞いた和上は本堂にもどり、「聖人一流章」を拝読され、「よくお気づきになりましたな。御文章には、親鸞聖人が伝えてくださった大事な教えが説かれています。御文章やご法座の聴聞は、親鸞聖人が伝えてくださっているアミダさまのお心をいただかなくては何にもならないのですよ」と申され、この夫婦のために懇切なご法話をされました。
このようなエピソードを聞かせてもらって、あらためてお聴聞の大切さを知らされ、感動しながらよろこんだことを思い出します。
みなさんは、先の蓮如上人の言葉から、何をお感じになるでしょうか。私は、ご法話の領解(りょうげ)よりも、知識でご法話を批評している自分が知らされるようです。
蓮如上人のお弟子に、越中赤尾(えっちゅうあかお)の道宗(どうしゅう)がいました。上人のご往生から2年後、自らの信仰生活を誡しめる「道宗覚書(おぼえがき)」を書いています。その最初に「後生(ごしょう)の一大事、いのちのあらんかぎり、油断あるまじき事」とあります。
なんと純粋でありがたい人なのでしょうか。道宗は偶然、上人の法話を聞いて念仏者になった人です。以来、上人を慕い、お念仏の教えに生きた道宗は、いつもみ教えを初事として聞いていました。 私たちは、お念仏の教えをいつも初事として聞いていかねば、アミダさまのみ心にふれられないことを、道宗は伝えてくれています。
(本願寺新報 2017年11月01日号掲載)
本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より
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