苦悩のご縁の救い -愚者になりて往生す-
守 快信
布教使 滋賀県竜王町・東光寺住職

次のご法要にも
ご本山で10期80日間厳修(ごんしゅう)された伝灯奉告法要も、5月31日にご満座を迎えました。私もご門徒の方々と共にお参りさせていただきました。
その帰りのバスの中で一人のご門徒に、「次のご法要にも一緒にお参りしたいですね」と話しました。すると「もうこの歳では、次はお参りさせていただくことはできません」と寂しそうにおっしゃいました。「そうですね。次のご法要は、私も無理かもね」と、その場のみんなで苦笑いしました。
あらためてこのたびのご法縁をよろこばせていただいたことです。
ところで、わが家には2歳の孫娘が同居しています。最近、泣くことが多くなり、近所が気になる毎日です。彼女はしたいことをさせてもらえず、思い通りにならないと泣き叫ぶのです。子どもは純粋だと言われますが、自分の思いへの執(と)らわれはことのほか強いことを知らされました。
私はこんな時、泣き叫ぶ彼女を抱きかかえて、軽く背中をトントン...とゆっくりたたきながら、「思い通りにならんね」「いやだね」「腹が立つね」などと繰り返すのが日課です。すると、なぜか安心して泣きやんでしまうんです。笑顔になって、気持ちが切りかわるんです。
でも、私の心には「大人になると、もっと自由にならない思いで泣くことになるのかな」とため息交じりの思いが走り、心が痛みます。これから、思いを受け止めてくださり安心できるみ教えを、彼女が聞いてくれることを願わずにはおれません。
彼女の安心をみる時、ふと実父の姿を思い出します。72歳でがんを患い、仏さまの世界へ往(ゆ)きました。病室での臨終のその日は、私たち夫婦が介護の当番でした。
お救いの特等席
病室では、肺炎も起こし、繰り返し襲ってくる痛みに顔をゆがめる父でした。その夜、父の大きな膝(ひざ)の上に座っていた幼い頃のことを思い出し、深い考えもなく父を私の膝の上に座らせました。やせているとはいえ、骨格の太い父の体は重く、すぐに足に痛みが走りました。そんなわずかな間に、痛みに耐えているはずの父の顔に、孫娘と同じような笑顔が見えました。
考えてみれば、父は一人っ子で、幼い頃に父親と別れ、父親の顔を知らなかったと聞かされたことがあります。父の心の奥底に、父親に抱かれた温(ぬく)もりが残っていたのかもしれません。膝の上で見せた、安心しきった顔の父。仏さまの温かい御手(みて)の中にいる心地だったのでしょうか。
人生の多くを、あの悲しい戦争の中に生き、戦後は子どもたちの教育に尽力し、家族の生活を支えてきた人です。退職後、お寺のことにまい進し、大学で真宗を学ぶほどでした。いつもご門徒と共に「ナンマンダブ ナンマンダブ」と仏さまの方を向いて生きた父。入寺して家を離れてからの私にとっては、よき理解者で、よき師で、心の支えでした。
臨終間際のわずかな時間の父の安心した顔は、苦痛の中でのよろこびであったと思います。
ただ、あれほど「ナンマンダブ」と口癖(くちぐせ)のように言っていた父。父の口からは、残念ですがお念仏の声を聞くことはできませんでした。苦痛が、お念仏する心までも遮(さえぎ)っていたのかもしれません。
最後まで、苦悩のご縁の中に翻弄(ほんろう)された父のいのち。私も同じなら、お念仏することもできないかもしれません。孫娘の心配はしても、「次のご法要には、必ずお参りできる」と心のどこかで思っている私ですから。
苦痛の中にあって、臨終のお念仏すら出てこない父は、み教えを聞かされてきた通り、仏さまのお救いの特等席にいたようです。
苦悩のご縁に生きる私だからこそ、救わずにはおれないと願いを完成してくださった阿弥陀さま。ご縁に翻弄される私だからこそ、お念仏に出遇(あ)えたことをよろこばずにはおれません。
「浄土の教えを仰(あお)ぐ人は、わが身の愚かさに気づいて往生する」(浄土宗の人は愚者(ぐしゃ)になりて往生す) との法然聖人のお言葉をよろこばれた、親鸞聖人のお心をうかがわずにはおれません。
(本願寺新報 2017年06月20日号掲載)
本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より
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