「うけつぐ伝灯」 -私に中継ぎされていたお念仏-
藤澤 めぐみ
布教使 京都市・興禅寺住職

ご門徒の夢に父が
5月29日に、住職継職奉告法要をおつとめしました。その日、稚児行列や出勤僧侶を率いておねりの先頭を歩き、献灯・献華・献香のなかで、献灯の大役をしてくださったのは、ご門徒のMさんでした。
Mさんは昨年、末期の胃がんと診断されました。しかし90歳近くなるので進行は遅いだろうから、体に負担をかけないためにも手術はしないという方針になりました。
手術をしないとなると、がんを抱えたままですから不安になります。おつれあいさんも私も心配して、少しでも元気になってもらいたいという思いから、体によい食材を勧めたりしましたが、ご本人は「ありがとうございます」とは答えられるものの、その食材を口にすることもほとんどなく、「がん」という言葉に押しつぶされそうになりながらの日暮らしでした。
お寺の役員をされた経験もあるので、継職法要の発起人をお願いすると、「私はがんですし、法要まで生きているかどうかも...」とおっしゃいます。私はどう言葉を返していいかわかりませんでした。
ところが、その生き方がゴロッと180度変わる出来事が、Mさんの身に起こります。
それは年の瀬も押し迫った深夜のことでした。Mさんの夢の中に、前住職であった父が出てきたそうです。
父は黒地に金の刺繍(ししゅう)の入った羽織袴(はおりはかま)を身にまとい、柔和な顔で、大きな盃(さかずき)と扇子(せんす)を持って舞いを踊ります。そして踊り終えたあと、Mさんの前に進み出たかと思うと、持っていた大きな盃を渡し「お寺の事、法要の事、よろしゅうにお願いしますな。ほんまに、よろしゅうに、お願いしますな。なんまんだぶつ」と深々と頭を下げ、盃にナミナミとお酒を注ぎ、「さ、呑(の)んでくださいや」とMさんにほほ笑みかけます。Mさんは「わかりました。ありがとうございます」と盃に口をつけたその時、父の姿がスッと消え、夢から覚めたのだそうです。
夢かうつつか幻か、しばらく呆然(ぼうぜん)として、それから「あぁ、夢やったんか」と思ったと同時に、Mさんはその時、「あぁ、そうだった」と生きる力が湧いてきたのだそうです。
主役じゃないの?
その夢をきっかけに、Mさんの生き方が変わります。あまり口にしなかった健康食品も食べ、大好きなカラオケやビリヤードも再開されたり。そして一番うれしかったのは、「せめて法要までは生きていたい。私でよろしければ、発起人をさせてもらいます」と言っていただいたことでした。
法要が近づき、実行委員会での準備が進む中、稚児行列を含めた、おねりの参加を呼びかけました。おねりの先頭はろうそくを灯す献灯です。
「私、させてもらいます!前住職さんと約束したんです」。そう言って一番に手を挙げてくださったのはMさんでした。
胃がんと診断され、生きる希望を見失いかけていたMさんと父との夢の中での約束。「お寺の事、法要の事、よろしゅうにお願いしますな。ほんまに、よろしゅうに、お願いしますな。なんまんだぶつ」その言葉をしっかりと引き継ぎ、法要当日は献灯の大役をつとめてくださいました。そして、法要から約1カ月後の7月8日、Mさんはお浄土へ往生されました。
亡くなるまで何度も、父の夢の話をしてくださり、「お父さんが夢の中で、私にお念仏の大事さ、その意味を伝えてくださったんですよ」と頬を紅潮させながら話しておられた姿は、今も私の脳裏に焼き付いています。
父は生前、私によく「中継ぎ」という言葉を使いました。「お前はこのお寺の中継ぎや」というのです。それを聞くたび、私は「中継ぎは主役ではない」と感じ、反論したものでしたが、このMさんの夢の話を通して、父からMさんへ、そして多くのご門徒さまからこの私へと、お念仏が「中継ぎ」されていたことに、気づかせていただいています。
まもなく「伝灯奉告法要」がおつとまりになります。
「うけつぐ伝灯 伝えるよろこび」のスローガンのもと、この私まで届いてきたお念仏を次世代に弘め伝える歩みをさせていただきたいと思います。
(本願寺新報 2016年09月20日号掲載)
本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より
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