消防車と子ども -問題を遠くに置こうとする私を照らすみ教え-
冨井 都美子
布教使 京都市・善蓮寺住職

誰かたすけてくれ!
昨年の春のことでした。
私が暮らすお寺の南側には5階建てのビルがあり、朝夕ほんの少ししか陽(ひ)が入りません。冬は洗濯物が乾かないのです。でも、一番東にある1階和室の上の小屋根には陽が当たっています。それなら、そこに物干し場を作ろうということになりました。
工事が始まった2日目のことです。古い鉄骨の骨組みを切り外すために「キーン」というけたたましい音が鳴り響いていました。その直後のことでした。何やら騒がしい声が聞こえます。
「誰か助けてくれ!」と、現場を仕切る担当者の悲壮な声が聞こえてきました。
「どうしたのですか?」
「この小さな隙間から火が入り込んでしまった!」
火事です! 鉄骨の解体時の火の粉が1階天井裏に入ってしまったのです。工事関係者は慌てるばかり。私は、休んでいた夫に知らせ、消火器を取りに行きました。それを工事関係者に渡した後、そうだ、隣に住む息子家族に知らせなくては、彼らに逃げるように言わなくては...と声をかけると、息子は冷静に、
「消防署に電話したのか!」
あっそうだ、まだだった。
「一番肝心なことをしないで何してるの! 早く電話して!」と叱られ、やっと消防署に通報しました。
息子はすぐに現場に来て、手早く指示してくれました。ほどなく道いっぱいの大きな消防車が入ってきて、たくさんの消防隊員が手早く動いているのを近所の人が心配そうに見守っています。しばらくして、火は広がっていないと判断して、放水は見合わせるように指示されました。
通報から2時間ほどして、火が延焼していないことがわかり、大通りに待機していた7、8台の消防車が撤収。最後の消防隊員が「あらゆる所を点検しているから安心するように」と言って帰って行かれた時には、すでに4時間は経過していたと思います。
その間、消防隊員、警察官、町の消防団員と多くの方々が動いてくださいました。
あんまり慌てると、正常な判断ができず、一番に知らせなくてはならない消防署への通報が後手に回り、住職としてあまりにもお粗末でした。お年寄りの多い街ですから、本当に大火にならずによかった、と胸をなでおろしました。
私のために来た方
一方、家の中は、工事関係者が水道の水をかけ、1階の和室の天井をはがし、和室の中はボロボロ、見るも無残な姿です。ボヤでよかった。内陣の方には火が入らなくてホッとした。でも、これからどうなるのだろうか...。すっかり疲れた頭は何も考えられません。先ほどまでの喧騒(けんそう)は去って、もとに戻った静かな街並み。私は表の通りから敷地内を一人でぼんやりと眺めていました。
その時、おじいさんが小さな男の子を連れてやって来ました。たたずむ私のことは目に入らなかったらしく、そのおじいさんは火事の現場であるわが家をのぞき込み、孫に向かって言いました。
「な~んや、もう終わってしまったわ」
どうやら、孫に消防車を見せたかったらしいのです。そう言った後、子どもの手を引いて去って行きました。
悲しかった。火事という痛ましい出来事は、孫に消防車を見せる機会であり、消防車を見る孫の喜びだけを考えて「な~んや」と言っていたのでしょう。しばらく、その老人の言葉が頭から離れませんでした。
数日、そのことを考えているうちに、「そうだよ、あなたも、そんなふうに、人のしんどい場面で、知らない間に、思いの至らぬことを口に出して、悲しみ、痛みを増幅させているようなことをしていない?」と言う声が聞こえてきました。
そうか、あの老人は、そのことを私に知らせるために来てくださったお方なのかもしれない...と思えた頃、前に向かって歩み始めることができました。
争い、いじめ、むさぼり、いかり、ぐち、資質の低下、社会の混迷...。どこか遠くに問題を置いて暮らしているけれど、どれも私の人生そのもの。だからこそ、お念仏の教えとともに、丁寧に暮らしてゆかなければと思う出来事でした。
(本願寺新報 2016年09月10日号掲載)
本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より
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