ミズスマシ -慈悲に目覚める人生は空しく終わらない-
高務 哲量
布教使 福井市・千福寺住職

おかげさまの生活
農民詩人として宗教的な詩をたくさん残された村上志染(しぜん)さんの詩です。
方一尺(いっしゃく)の天地
水馬(みずすまし)しきりに 円を描(か)ける
なんじ いずこより来たり
いずこへ旅せんとするや?
ヘイ! 忙しおましてナ!
方一尺、一辺が30センチあまりの水たまり。そこを自分の世界として、どこから流れてきたのか、ミズスマシがせわしなく動き回っています。お前さんはどこからきて、どこへ行こうとしているのかね。まもなく干上がってしまう狭いその水たまりの中で、そのいのちを終わってゆかねばならないのだよ、という問いかけに返ってきた答えが、「忙しくてそんなこと考えてません」というものでした。
言うまでもなくこれはミズスマシになぞらえて、人のいのちの意味と行方を問うているのですね。ミズスマシに比べればはるかに長い時間と広い空間を生きているのが私たち人間ですが、肝心ないのちの来(こ)し方、行方、そしてそのいのちの意味を問うことなく終わってゆかねばならないのなら、このミズスマシと大差ないではないですか、と村上さんは問いかけます。
せめて、人と生まれたこのいのちの意味、死の意味の決着をつけさせていただかねば、いただいたいのちにあまりに申し訳ないことです。
自分しか見えてない
ところで、人間の知恵は、自分の見た世界、経験した世界にしか及ばないものです。それも自分を中心にしてしか見ていない世界です。
こんなことがありました。36年前の春、私は結婚式を挙げました。その時、参列予定だった母方の祖母が体調を崩し、大事を取って入院したと聞いたので、式の前々日、私は妻と二人で母の実家のある石川県加賀市の病院へ見舞いに行きました。
「周りの勧めもあって入院したけど、あさっての結婚式の始まる時間には、病室から福井の方を向いて、お念仏しながらおめでとうと手を合わせてお祝いさせてもらいますよ」と温かいお祝いの言葉をかけてくれた祖母でした。
私たち家族は翌々日の結婚式、さらに翌日のご門徒さんへの披露と、慌ただしい中にも皆さまのご祝福をいただき幸福感に浸っていました。ところが、その頃を見計らったようにかかった母の実家からの電話で、本当のことを知らされ、一転して悲しみのどん底に引きこまれたのです。
私たちが見舞ったその日、容体が急変して祖母は往生を遂げていたのです。叔父の深い配慮と思い切った決断により、「通夜・葬儀の日取りは延ばすから、結婚式の披露宴に呼ばれている人は何事もなかった顔をして参列するように」という通知が親戚に回されていました。本当のことを知らない私たちは、幸せそうにふるまっています。叔父をはじめとする母方の親戚は、その私たちの姿にどれだけ胸を痛めたことでしょう。
その電話の後、とるものもとりあえず、それまで延ばしてくださっていた納棺の儀にかけつけ、祖母の枕辺に座りました。結婚式、披露宴をつつがなく穏やかに済まさせてやりたいというあの時の叔父の配慮には、今でも心から感謝の思いでいっぱいです。
私たちは自分の見た世界しか見えていない、ということを痛切に教えられた、厳しくも尊い経験でした。
人生に確かな意味
生と死を平等に見わたせる、まことの智慧(ちえ)を自らの上に体現された如来さまの眼差(まなざ)しには、私の生きざまが危なっかしく哀れで、胸を痛める姿として映ったのです。
私のいのちの行方を本当に案じ、胸を痛めてくださる阿弥陀さまを、慈悲の親さまとして、お念仏の先輩方は仰ぎ慕ってこられました。自分にかけられたお慈悲の温かさ、確かさに心動かされた人は、そのまま慈悲の人へと育てられてゆくのでしょう。
慈悲に目覚めるためにこの世に生を受け、そしていのち終わっても、お浄土で仏さまと同じはたらきをさせていただくのだと知らされた人生は、決して空(むな)しく終わることはありません。
私のいのちはあなたのお慈悲に目覚めさせていただくために賜(たまわ)っていたのですねと、自分の生と死に確かな意味を与えてくださるお慈悲のご恩を、あらためてかみしめさせていただくことです。
(本願寺新報 2016年09月01日号掲載)
本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より
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