いま、私に届く願い -「うまれてくださり、ありがとうございます」-
藤澤 めぐみ
布教使 京都市・興禅寺住職

いつもの朝の光景
5月21日は、宗祖親鸞聖人の843回目のお誕生日です。といっても、親鸞聖人は90歳でお亡くなりになられて、もう750年以上経ちます。では、なぜ、すでに亡くなった方の誕生日をお祝いするのでしょうか?
「それは、この私にお念仏を伝えてくださった、大切な方だからですよ」と話してきた私でしたが、それを本当の意味で実感したのは、父が亡くなってからでした。
平成26年12月19日早朝、リビングで、こっそりミカンをほお張る父に、「ちょっとお父さん! 朝食前に何食べてはるの!」と母の声。ギョッと振り向く父の顔。週3回の透析をし、食事制限のあった父の、いつもの朝の光景でした。
「あ~あ、またか...」と、うんざりしていた私。昼前になって、透析病棟から、父の容態急変の電話がかかるまでは、また明日も同じ風景があるのだと信じて疑いませんでした。
ところが病院に駆け付けると、透析中に心不全を起こした父の意識はすでになく、12時53分、眠るが如(ごと)く、この世のいのちを終え、お浄土へ往生いたしました。
ドラマで見るような「最後の言葉」がないどころか、住職としての引き継ぎはゼロ状態。涙を流す間もなく、通夜、葬儀を迎えたことでした。
亡くなる約1週間前の12月11日は、父の77歳の誕生日でした。しかし、当日に誕生会ができず、あらためて家族そろって誕生日の食事会をしようと計画していたその日が、まさかまさかの父の葬儀となりました。
「人は生まれたら、必ず死ぬ。それがいつかはわからない。でも死んで終わりじゃないんだよ。お浄土にうまれて先に仏さまとなって、いつもお念仏をすすめてくださる、大切な存在となったんだよ」と話してきた私でしたが、「まさか」がこんなに突然来るとは思いもしませんでした。
父の存命中から住職交替の手続きは進めていましたので、父の満中陰にあたる2月5日、本願寺で住職補任式を受け、ご門主から住職任命の辞令書をいただきました。
案じてくれていた父
父はかねてより手取り足取り教える人ではありませんでした。しかし、教えないからこそ、父の作法やおつとめの様子をみて覚えるのが、いつしか私のクセとなりました。それが父から今の私への「おそだて」になっているのだと気づいたのは、ごくごく最近のことです。
月参(つきまい)りに寄せていただいた数軒のご門徒宅では「お父さんとそっくりの声と立ち居振る舞いですね」と涙を流しながら父の想い出を話してくださり、父の意外な一面を知ることになりました。
あんなに私と反目していた父が、「いずれ娘が寺を継ぎますので、どうか育ててやってくださいなぁ」と畳に頭をこすりつけるようにご門徒にお願いしていたのです。「何も教えない」中で、父は「案じてくれて」いたのです。
昨年12月19日、父の一周忌法要を、数人のご門徒とともに本堂でおつとめしました。77歳の誕生会ができなかったことと、お浄土への誕生1歳という意味を込めて、小さなケーキをお供えしました。
最初は数名のお参りでしたが、おつとめが終わって振り返ると20人以上のご門徒がお参りくださり、とてもケーキが足りません。新たにケーキを買い足そうかどうしようかと思っていた時、一人のご門徒が「せっかくの前住職のおさがりやから、一口ずつ、みんなでいただいたらええ」と言ってくださり、バースデーソングの代わりに、「みほとけにいだかれて」の仏教讃歌を歌ったあと、一口ずつのケーキをいただき、父の想い出を語り合いました。
「何も教えなかった父」の想いが、「何も聞かなかった私」の思いと交差して、ご門徒との語らいの中、いま、この私に届いています。人は人により育てられ、仏縁によって仏さまと出遇(あ)わせていただく...。
阿弥陀さまの願いが、親鸞聖人、そして父を通して、この私に届いているのですね。うまれてくださり、ありがとうございます。
(本願寺新報 2016年05月20日号掲載)
本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より
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