読むお坊さんのお話

慈悲に生かされる

花岡 瑞絵(はなおか みずえ)

浄仰寺副住職

"きょうだい"って

 みなさんは「きょうだい」をご存じでしょうか。重い病や慢性の病気、そしてさまざまな障がいのある兄弟姉妹がいる「きょうだい」のことを言います。「きょうだい」たちの多くは、病気や障がいのある兄弟姉妹に両親がかかりっきりになるため、小さい頃から我慢することが多く、甘えることも十分にできず、さまざまな葛藤や問題を一人で抱え込んでしまうことが多いと言われています。私は、そのことをわが子から教えられました。

 数年前のある日、わが家の1歳になったばかりの次男が白血病を発症しました。長い入院治療に24時間の付き添い、病院近くへの引っ越しと、家族の生活は一変しました。

 お兄ちゃんは両親がほとんどいない生活に不満も言わず、逆に看病に疲れてつかの間家に帰ってくる私に「先に寝ていいよ」といたわってくれていました。

 そんな日々が数カ月過ぎたある朝、お兄ちゃんが突然「今日は学校休みたい」と言い出しました。仕方なく、その日は病院の待合で一日を過ごすことになりました。弟に会いたくても、子どもは小児科病棟に入ることができません。ましてや、抗がん剤の影響で免疫が下がり、空気清浄機の前から動けない弟です。一目見ようにも、顔を見ることすらできないのです。当然、親は離れた病室と待合の間を行ったり来たりすることになります。

 すると、一人の看護師さんが気付いて、「お兄ちゃん、どうしました?」と声をかけてくれました。私が事情を話すと、忙しい中、看護師さんやお医者さんたちが、代わる代わる話し相手になってくれたり、宿題をみてくれたり。お兄ちゃんには何も聞かず、ただ普通に楽しく接してくれました。

家族にも寄り添う

 思えば入院中、医療者の皆さんは、患者だけでなく私や家族のことを常に気にかけてくれていました。

 「眠れていますか? 今のうちに少し休んでくださいね」
 「お兄ちゃんは元気にしていますか?」

 いつも声をかけ、病室の様子を気にしてくれていました。最初は何気ない気遣い程度に思っていましたが、実は医療者がチームとなって、患者だけでなく家族全体を支えていてくれたんだということに初めて気がつきました。

 「きょうだい」の問題についても、当然、専門的によくご存じだったのです。 でも、誰もそのことについて私に意見することも、何かを教えようとすることもありません。ただ、目の前にいる患者やその家族の一人ひとりの立場に立って、その悲しみや苦しみに寄り添い、共にあろうとしてくれていたのです。

 『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』には「仏心(ぶっしん)とは大慈悲(だいじひ)これなり」と説かれ、善導大師(ぜんどうだいし)は、仏道を学ぶということは「仏(ぶつ)の大悲心(だいひしん)を学ぶことである」とおおせられました。

 大慈悲とは、阿弥陀如来があらゆるいのちの悲しみと痛みを自らのこととして引き受けていかれる心のことです。

 だからこそ仏道とは人の痛みのわかるものになろうと努め、痛みを分かちあいながら生きようと努める道なんだよ、とお聞かせいただいています。

 しかし、実際には弟の病を代わってやることはおろか、お兄ちゃんの気持ちに寄り添ってやることもできなかった親です。仏さまのお慈悲を聞かせていただくほど、それとは真逆のわが身であることを知らされます。

 そのようなわが身であると教えてくださったのも、如来の大悲心でした。如来さまのお慈悲をこの身に味わわせていただくことで、痛み、苦しみを抱えて生きているのが自分だけではないことに気付かされます。

 そして、ほんの少しでも他の人と痛みを共にしようと努める中に、同じお慈悲に包まれていることをよろこび、その痛み、苦しみの中に生きる意味を見出そうとする方向性が育まれてくるのです。

 あれから数年が経ち、おかげさまでようやく同じ悩みを抱える友と交流会を立ち上げ、共に学びをはじめることができました。やればやるほど果てしなく、自分の無力さと身勝手さに情けなく申し訳のない思いが募る毎日ですが、その一日一日が、お慈悲に包まれお慈悲に導かれる毎日であるといただいています。

(本願寺新報 2016年02月10日号掲載)

本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より

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