救いのレシピ
八橋 大輔
本願寺派総合研究所研究員

おせちもいいけど・・・
仏教と同じく、インドにルーツを持ち、日本人に広く愛されている料理と言えば? そうです、「カレーライス」です。
そういえば以前、「おせちもいいけどカレーもね!」というテレビCMが年末年始に流れていました。このお正月にも、カレーを召しあがった方がいらっしゃるかもしれません。
さてこのカレーライス、皆さんはどのように作っておられますか? いろいろな調味料や食材を入れて工夫されている方もあるでしょう。私も隠し味にコーヒーがいいと聞き、試したことがあります。
しかし、私は長い間、見落としていたのです。カレーをおいしく作るために必要な、とても基本的なことを。何を隠そう、それは「カレールウの入れ方」です。
皆さんは、ルウを入れる際、火を止めますか? 止めませんか? 正解は、「止める」だそうです。いったん火を止め、粗熱(あらねつ)をとり、ルウを溶かし混ぜる。それから再び弱火で煮込むのが正しい方法だということです。
なぜかというと、ルウはグツグツ煮立った熱い鍋の中ではダマになってしまう性質をもっているからです。私たちがおいしいと感じるカレーの特徴の一つが、カレーソースの「なめらかさ」です。つまり、ダマになるのは、カレーにとってとてもよくないことなのです。
この「火を止める」ことが大きなポイントだということは、NHKの「ためしてガッテン」という生活情報番組で以前紹介されていたものです。
ただ、「火を止める」という方法は、そもそもカレールウの箱の「作り方」にちゃんと書いてあるんです。あるメーカーの箱には、「いったん火を止め、ルウを割り入れて溶かします」という記載がありました。
実は私、この方法を知っていました。でも、まったく気にもとめていませんでした。なぜなら、ルウはアツアツの鍋に入れたほうがよく溶けると思い込んでいたからです。まさか箱の「作り方」通りに調理することが、おいしいカレー作りのポイントだったとは。自分の思い込みを反省させられた出来事でした。
長々とカレーの話をしてしまいましたが、この私の失敗談は、浄土真宗の教えにも通じるところがあると思うのです。
「ただ念仏」
親鸞聖人が80歳を過ぎた頃のことです。関東の門弟たちがはるばる京都の親鸞聖人を訪ねてきました。
この時、関東では門弟たちの信仰を惑わすさまざまな出来事が起こっていました。門弟たちの心には、親鸞聖人が「浄土に往生する道」として説かれた念仏への疑念が頭をもたげていたのです。「念仏は本当に浄土に生まれ仏になる道なのか」「本当は念仏以外に何か別の道があるのではないか」、この疑問を親鸞聖人にお尋ねするためだけに、門弟たちは長い道のりを旅してきたのでした。
そんな門弟たちに親鸞聖人が語られたのが、次のお言葉です。
「親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひと(法然)の仰(おお)せをかぶりて、信ずるほかに別の子細(しさい)なきなり」
(歎異抄(たんにしょう)、註釈版聖典832ページ)
「この親鸞は、〈ただ念仏して阿弥陀さまに救われ往生させていただくのである〉という法然聖人のお言葉を信じているだけです。その他に何か特別のわけなどはありません」
おそらく門弟たちは、「念仏は浄土に往生する道である」と知りながらも、「南無阿弥陀仏」と称えるだけの念仏をたよりなく感じ、念仏以外の道を求めてしまったのでしょう。
しかし、門弟たちがたよりなく感じた念仏を、ただ称えることは決してたよりない行(ぎょう)ではありません。「ただ念仏する」とは、念仏以外の他の行を捨て、「念仏するものを救う」とお誓いくださった阿弥陀さまにまかせきった境地です。そこには、阿弥陀さまに抱かれているという大きな安らぎがめぐまれているのです。
「念仏するものを救う」。これこそが阿弥陀さまの救いのレシピです。「隠し味」もなにもない、そのレシピにしたがってただ念仏する身とならせていただく。そこにこそ浄土真宗の救いがあるのです。
(本願寺新報 2016年01月10日号掲載)
本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より
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