なぜなら、それが・・・
西 義人
山口・光福寺衆徒

ハニーハンター
ヒマラヤの奥地。崖(がけ)に作られた巨大な蜂の巣から、昔ながらの方法で蜂蜜を採って暮らす人々がいます。人呼んでハニーハンター。以前、その達人ぶりがテレビで紹介されました。ずいぶん前に一度見ただけなのですが、妙に記憶に残っています。というのも、ナレーションがたいへん印象的だったからです。
ハニーハンターは、断崖絶壁を簡素な縄ばしごで降り、宙吊(づ)りのまま巣に向かいます。一歩間違えば転落死。なぜ、そこまでの危険を冒すのか?
〈ナレーション〉
「なぜなら、それがハニーハンターだから」
ハニーハンターが巣を切り取りにかかると、当然のように蜂が全身に群がり刺しまくってきます。しかし彼らは黙々と働き続けます。なぜ、平気なのか?
〈ナレーション〉
「なぜなら、それがハニーハンターだから」
ずっとこんな調子なのです。この姿を見よ、他に説明は不要。そこには理屈を超えた不思議な説得力がありました。
本願、本願、本願
場所と時代は変わって、中国は唐代のはじめ。長安の都に一人の僧がいました。善導大師(ぜんどうだいし)です。大師は、南無阿弥陀仏と称(とな)えて浄土に往生する念仏往生の教えを、人々に精力的に説いておられました。ところが当時、念仏往生の教えには逆風が吹いていました。高名な僧たちが複雑な仏教理論を用いて、こう主張していたのです。念仏は簡単すぎる、それだけで往生はできぬと。そんな中で善導大師はただ独り、念仏往生に間違いなしと明らかに説かれたのです。なぜ、間違いないのか?
「なぜなら、それが仏の本願だから」
人間が組み立てた理論ではない。どうしようもない愚か者を念仏によって必ず救うと、仏さまが願っている。それが、何ものにも比べられない、確かな根拠だったのです。
場所と時代は変わって、日本は平安時代の末。比叡山に壮年の学僧がいました。法然聖人です。聖人は長い苦悩の中にいました。修行を重ねても開けない心。私は仏道を歩める器ではないのか。蔵にこもり、涙ながらに仏典に答えを求めていたのです。そんなある日、善導大師の言葉が目に止まりました。
――いつでもどこでも念仏、それこそが正しき浄土往生の道である――
この言葉によって、法然聖人は比叡山を離れ、念仏ひとつの道を歩まれることとなったのです。なぜ、あらゆる修行を捨てて念仏ひとつなのか?
「なぜなら、それが仏の本願だから」
修行を達成できる立派な人だけが仏道を歩めるのではない。どうしようもない愚か者を念仏によって必ず救うと、仏さまが願っている。それが、何ものにも比べられない、確かな根拠だったのです。
場所と時代は変わって、日本は鎌倉時代の半ば。京都市中(しちゅう)に八十五歳の老僧が住んでいました。親鸞聖人です。法然聖人の元で学んでいたときから五十年あまり。その教えを静かに振り返る日々を送っておられました。そんなある日、親鸞聖人が見た夢の中に、ひとつの和讃が浮かんできたのです。
弥陀(みだ)の本願信(ほんがんしん)ずべし
本願信(ほんがんしん)ずるひとはみな
摂取不捨(せっしゅふしゃ)の利益(りやく)にて
無上覚(むじょうかく)をばさとるなり
(註釈版聖典600ページ)
やはりご本願であった。ご本願こそさとりの源であった。聖人は深いよろこびをもって、この和讃を書き留めました。
聖人が、息子・善鸞(ぜんらん)との縁を切ったのはこの前の年のことでした。あろうことか、父からの教えと偽(いつわ)って、弥陀の本願はもう不要になったと人々に説いた善鸞。わが子にすら正しい教えを伝えることができず、多くの人々に道を誤らせてしまったという苦悩は、聖人から消えることはなかったでしょう。なぜ、こんな自分がさとりを開けるのか?
「なぜなら、それが仏の本願だから」
条件などない。はからうことなど何もない。どうしようもない愚か者を念仏によって必ず救うと、仏さまが願っている。それが、それだけが、何ものにも比べられない、確かな根拠だったのです。
(本願寺新報 2015年11月10日号掲載)
本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より
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