読むお坊さんのお話

「いまを生きる」

宮武 大悟(みやたけ だいご)

布教使

3万枚の写真で

 「いまを生きる」

 私の好きな映画の邦題ですし、よく聞くスローガンです。法語などにもよく見受けられます。確かに現在を生きることができなければ、過去の後悔と、未来への不安にとらわれた一生となってしまうでしょう。しかし、瞬間瞬間に転じていくこの世界で、今とはいつでしょうか。われわれに現在を確かめることはできるのでしょうか。

 5年前のことです。安芸教区青年僧侶の会・春秋会で「坊(ぼう)さんフェス2010」というイベントを開催し、多くの皆さんのご協力により大成することができました。このイベントのメーン企画となったのが「アミダプロジェクト」と題して制作した巨大フォトモザイクです。

 一人ずつ合掌してもらった写真を組み合わせて、縦9㍍×横5㍍というとんでもない大きさの阿弥陀さまのモザイク画に仕上げたのです。撮影期間は3、4カ月ほどでしたが、100人ほどの会員で手分けをして撮影した合掌写真は3万600枚にも及びました。高評を賜り、先の親鸞聖人750回大遠忌法要では、御正当(ごしょうとう)までご本山に掲示していただきました。ご覧になられた方もいらっしゃるのではないでしょうか。

仏と同じはたらき

 「坊(ぼう)さんフェス」当日、会場の一画「ふれあい坊さん広場」に、一人の女性が来られました。そこは、お坊さんがお話を聞くブースで、その手がかりにと、ポストカードに法語を書いたものを販売していました。

 「あみだくじ」と名付け、48種類あるポストカードをくじで引く仕組みで、どれが当たるかはわかりません。しかし、その女性は1枚のポストカードをじっと見られていたそうです。それは「アミダプロジェクト」の阿弥陀さまをポストカードに印刷したものでした。

 「どうかなさいましたか?」

 一人の会員が声をかけると、その女性がこう答えられたそうです。

 「この阿弥陀さまのモザイクの1枚に、先日亡くなった母が写っているんです」

 応対した会員は、そのポストカードをそっと差し上げたそうです。9㍍という大きさで、合掌写真1枚が4㌢ほどの大きさですから、ポストカードに縮小したものではお母さんは判別できません。でも、そのポストカードを受け取った女性はとても喜ばれ、大事そうに持って帰られたそうです。

 恥ずかしい話ですが、私はこのとき初めて気づいたのです、撮影してからそれまでにいのち終えられる方がおられることに。つまり、私たちと亡くなられた方々が共に写っていたということ、生と死が一つとなったフォトモザイクだったことにあらためて驚かされました。

 そして「弥陀同証(みだどうしょう)」といわれるように、お浄土に生まれれば阿弥陀さまと同じはたらきをさせていただきます。

 先ほどのお母さんの合掌写真は生前の、過去のすがたですが、見ておられる娘さんの現在にはたらきかけています。それが、お聴聞のご縁となれば、そのはたらきは娘さんの未来のおすがたとなるでしょう。

 現在の一点に生と死、過去と未来が一体となって阿弥陀さまを形づくっている。それは、遠い過去に織りなされたご縁から、まだ見ぬ未来のご縁まで、すべてを現在の私に「南無阿弥陀仏」、尊いご縁であると聞かせてくださっていたのです。

 『阿弥陀経』に「今現在説法(こんげんざいせっぽう)」と説かれています。このお経はお釈迦さまがおよそ2500年前にインドで説かれました。では、この「今現在」とは2500年前のことか、というとそうではありません。今日を生きるわれわれに阿弥陀さまは法を説いてくださっています。

 「南無阿弥陀仏」と聞こえた今、この瞬間に、遠い昔から喚び続けられていた過去、お浄土に往生させていただく未来が開かれます。

 過去に惑い、未来に迷っていては現在は確かなものとはなりません。過去と未来が間違いのないものとして開かれ、「南無阿弥陀仏」と聞こえたところに、初めて確かな今が現れるのです。お念仏が聞こえたところが、「今現在」と確かめさせていただき、共に「いまを生きる」私とさせていただきましょう。

(本願寺新報 2015年06月20日号掲載)

本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より

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