読むお坊さんのお話

みほとけさまってどんなおかた

小池 秀章(こいけ ひであき)

京都女子中学・高校教諭

真実に導くはたらき

 浄土真宗で「みほとけさま」と言えば、「阿弥陀如来さま」のことですが、「阿弥陀如来さま」と「お釈迦さま」と「親鸞さま」の区別はちゃんとつきますか? 多くの中学生・高校生はこんがらがっています。

 私は時々、意地悪な質問をします。

 「お釈迦さまは何人(なにじん)?」と聞くと、「インド人」と答えてくれます。「親鸞さまは何人(なにじん)?」と聞くと、「日本人」と答えてくれます。そして、「阿弥陀さまは何人(なにじん)?」と聞くと、多くの場合、「インド人」という答えが返ってきます。きっとお釈迦さまと混同しているのでしょう。

 阿弥陀さまは何人(なにじん)でもありません。お釈迦さまと親鸞さまは、歴史上に存在した人間ですが、阿弥陀さまは歴史上に存在した人間ではありません。では、何者でしょう。

 阿弥陀さまは、私たちを真実に導いてくださる真実のはたらきそのもので、私たちのために人格的に現れてくださった方なのです。「阿弥陀さまがいるのなら見せてみろ」という人がよくいますが、阿弥陀さまは目で見て出遇(あ)う仏さまではなく、そのお心を聞かせてもらうことによって出遇うことのできる仏さまなのです。

 ですから、阿弥陀さまは「いるかいないか」と問うのではなく、「どのようなお方か」とそのお心を聞かせてもらうことが大切なのです。そして、そのお心に出遇った時、私の前に新しい世界が開けてくるのです。

 阿弥陀さまは、「すべての人を必ず救うという願いをたて、はたらき続けてくださっている仏さま」です。「すべての人を救う」ということは、実はとてもすごいことなのです。普通の宗教は、いいことをした人は救われるけれど、悪いことをした人は救われないのです。ところが、阿弥陀さまは、いいことをした人も、悪いことをした人も、平等に救ってくださるのです。では、どんな悪いことをしてもいいのでしょうか。

お慈悲の心を聞く

 皆さんは今までに、「そんな悪いことをしたら、罰(ばち)が当たるよ」と言われたことはありませんか。私は親からそう言われたことはありません。けれど、そんなにいい子だったわけではありません。私が悪いことをした時は、「そんな悪いことをしたら、仏さまが悲しまれるよ」と言われました。

 浄土真宗は、裁きの宗教ではなく慈悲の宗教です。阿弥陀さまは善悪を裁き、悪いことをしたら罰を与えるということはされません。善悪を超えて、すべての存在を平等に慈(いつく)しんでくださるのです。

 しかし、悪いことをしてもいいのではありません。悪いことをしたら悲しまれます。その阿弥陀さまの悲しみ(慈悲の心)に出遇うことによって、私の生き方が、少しずつ正しい方向へと導かれていくのです。

 親鸞さまは「阿弥陀さまは、南無阿弥陀仏のお念仏となって、私に届いてくださる」とお示しくださっています。

 私の母は生前『みほとけさまって どんな おかた』という詩を創っていました。

  みほとけさまって どんな おかた
  みほとけさま みほとけさま いくら おさがししても
  おすがた みえない
  みほとけさま みほとけさま いくら お呼びしても
  お声が 聞こえない
  じーと静かに 眼をとじた
  じーと静かに 手を合わせた 小さな口から
  小さな 小さな声が出た
  なもあみだぶつ
  なもあみだぶつ
  みほとけさま いらっしゃった みほとけさま みつけた
  かなしいときも うれしいときも いつでもおそばに
  いらっしゃる どこでもおそばに いらっしゃる
  みほとけさま みほとけさま
  なもあみだぶつ

 南無阿弥陀仏とお念仏するところに「阿弥陀さまはいらっしゃった」と言える世界が開けてきます。南無阿弥陀仏のお念仏を通して、阿弥陀さまのお慈悲の心を聞かせていただきましょう。そして、少しでも阿弥陀さまを悲しませない生き方を求めていきたいものです。

(本願寺新報 2015年04月20日号掲載)

本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より

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