見捨てない
筑波 義厚
秋田・慧日寺住職

「寄り添う」とは
56年歩んできた人生の中で、直近の3年間は波瀾万丈の連続でした。3年前には心臓の病気を患い、2度の入院と体にメスを入れる手術を経験しました。一昨年は妻の入院と二男の不登校、昨年は長男の遠隔地への突然の転校など、予想だにしない出来事ばかりでしたが、そんな時、支えになったのは、40年以上続けている音楽活動でした。
分けても、不登校で自宅に引きこもった二男との生活は、本当にこたえました。大好きな音楽を楽しむ気持ちも失せてしまうほどでした。引きこもりの家庭は地獄の苦しみだと聞いてはいたものの、実際にわが身に起こってその意味が身に染みてわかってきます。
昼夜逆転の生活、時々暴れたり、自傷行為をほのめかしたり、家中とても不安定な時間が続きました。医師の診察を受けると、昼夜逆転の生活リズムの是正が治療の第一歩であるとのアドバイスがあったので、懸命にその実現に努め、子どもに関わり、寄り添おうとしました。
しかし、子どもは簡単に心を開こうとはせず、八方ふさがりの状況になりました。
そんな時、新たな気づきを与えてくれたのが、友人のホームページにあった「寄り添うとは、忘れないということであり、見捨てないということだ」という一文でした。
「寄り添う」という言葉は、東日本大震災発生後によく見聞きするようになった言葉の一つです。非常に耳ざわりのいい言葉でついつい安易に使ってしまいがちですが、つかみ所のない言葉でもあります。
この4年の間に何度か被災地を訪れました。被災者の方とお話をしてみると、まだ4年しか経っていないのに忘れられつつあることへの不安を口にする人が多いことに愕然(がくぜん)とします。恥ずかしながら、今年の1月17日が阪神・淡路大震災から20年というニュースを耳にして、すっかり忘れてしまっていたわが身に反省しきりでした。
もう一つの「見捨てない」ということも、そんなに簡単に行えることではありません。
いついかなる時も自分のことはさておいて他者を最優先に考え行動する。それができなければ、見捨てないということを完全に成し遂げたことにはなりません。いざ自分に乗り越えなければならない問題が発生すると、他者どころではなくなってしまうのが、人間の偽らざる姿でしょう。
本当の幸せ
『仏説無量寿経』に、法蔵菩薩という修行者が四十八(しじゅうはち)の願(がん)を建て修行を重ね、阿弥陀仏になられたと述べられています。
第18番目の願いに、「わたしが仏になるとき、すべての人が心から信じてわたしの国に生まれたいと願い、わずか10回でも念仏して、もし生まれることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません」と誓われています。
まさに自ら仏になることに先んじて、すべての人を念仏で救うと誓われた阿弥陀さまでなければ、見捨てないということは完全に成し遂げられないでしょう。
最近では、二男とは親子の会話が成立するまでになりました。引きこもりが始まった当初は、子どもにしっかり向き合うことよりも、世間体を気にしたり、知らず知らずのうちに1日も早く学校に復帰させなければといった親のエゴを子どもに押しつけてしまい、子どもを最優先にしていなかったのです。ようやく子どもの本音に耳を傾けて行動する余裕が出てきました。何よりも私にも子どもにも阿弥陀さまの「見捨てない」というはたらきが届いていることがあたたかく感じられます。
親鸞さまは、生老病死のすべてを「いのち」と見られ、苦を伴う生老病死それぞれに大切な意味があり、本当の幸せとして仏のいのちに生まれる人生を、お念仏の道としてお示しくださいました。
音楽は私にとって生きる支えになるものであっても、生も死も超えて私を支えきれるものではありません。私も決して十分とは言えませんが、見捨てないとお誓いくださった阿弥陀さまの寄り添う心を体し、現実に向き合っていこうと思います。
(本願寺新報 2015年04月10日号掲載)
本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より
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