読むお坊さんのお話

川の流れのように

竹本 崇嗣(たけもと たかし)

愛知・刈谷布教所光照寺

〝初めての出あい〟

 本願寺派のお寺がなかった愛知県刈谷市で布教所を開き、都市開教専従員として法務に勤(いそ)しんでいます。都市開教における法務の特徴を一つ挙(あ)げますと、「初めての出会いがその方の葬儀」ということでしょうか。

 長崎県の地方都市で法務をしていた頃、寺院周辺の家庭のほとんどは本願寺派のご門徒で、それぞれの家庭で亡くなる方がおられたら、顔見知りであるのが当たり前のことでした。

 顔見知りのお宅へ臨終勤行(りんじゅうごんぎょう)に訪れ、顔見知りの葬儀社のスタッフと打ち合わせをして、顔見知りのご遺族と故人の思い出を語り合うのが常でした。

 長く門徒総代を務めていた方が亡くなられた時、臨終勤行に参らせていただきました。ご遺族と一緒に読経をさせていただきながら、報恩講やお彼岸の荘厳(しょうごん)(お飾(かざ)り)を一緒にしたことを思い出すと涙がこぼれて止まらず、困った覚えがあります。

 おつとめを終えてご遺族やご近所の皆さんの方へ向き直ると、故人の長男さんが同様に涙をこぼしながらバツが悪そうに笑っておられました。

 「家での親父は頑固でうるさいばかりで、お坊さんが泣いて惜しんでくれるような男でしたかなぁ・・・」

 僧侶が泣いてしまうのはいかがかと思いますが、忘れ難い記憶として大切にしています。私の命が尽きるまで、何度も思い返すことでしょう。お寺とそれを護持されるご門徒が、代々にわたって関係性を築いてきたからこそ、故人お一人おひとりの話題やご遺族との絆が育まれていくのでしょう。

 ところが、私が都市開教を行う愛知県下、特に都市部においては事情が異なります。本願寺派の盛んな地域、北陸・中国・九州地方などから炭鉱の閉鎖、農業・漁業環境の変化、集団就職など、さまざまな事情で東海地区に移住し、就職、結婚して家を構えて、いざ法事や葬儀を営むという時、本願寺派の寺院を探してくださる方々と出会うことになります。

みな同じ塩味に

 葬儀に際し、初めてお会いする故人は既に棺(ひつぎ)の中におられます。初めて会うご遺族からは、法名をおつけするために故人のエピソードを聞かせていただきます。出身地域が親しみのある場所であったりすると、葬儀の取り持つご縁の不思議を思わずにはいられません。そして、本願寺派の僧侶として、何を一番にお伝えするべきかを考える時、正信偈の一節が浮かびます。

 「凡聖(ぼんしょう)・逆謗(ぎゃくしょう)斉(ひと)しく回入(えにゅう)すれば、衆水(しゅすい)海(うみ)に入(い)りて一味(いちみ)なるがごとし」
   (註釈版聖典203ページ)

 「凡夫(ぼんぶ)も聖者(しょうじゃ)も、五逆(ごぎゃく)のものも謗法(ほうぼう)のものも、みな本願海に入れば、どの川の水も海に入ると一つの味になるように、等しく救われる」
   (現代語版『教行信証』145ページ)

 川の流れは古くから人生にたとえられてきましたが、その長さは生きた時間でしょうか。その人の人生をその人が生き抜いたのだから、他の誰かが勝手な物差しで優劣を決めるなどおこがましいとわかっているはずなのに、私たちは平均寿命などの物差しに振り回されて、勝手に悲しみを増しているのかもしれません。

 川の広さは人生の豊かさでしょうか。経済的な豊かさ、交友関係の範囲。自分が選んだ末の人生であるにもかかわらず、隣の芝生の青さが気になって、感じなくてもいい不平や不満を感じているのかもしれません。

 川のあり様は生き様でしょうか。清らかにありたいと願いながらも、思いのままに生きられない人生、心ならずも傷つけたり傷つけられたり、憎(うら)んだり妬(ねた)んだり、気付いたら取り返しがつかないほどに濁ってしまった自らの姿にため息をつくのでしょうか。

 しかし、流れ込んでくる川の水を一切分け隔てすることなく、自らの中に摂(おさ)め取り、ついには自らと同じ塩味一味(しおあじいちみ)に調(ととの)えていく海のはたらきは、まるで阿弥陀さまのようだ、と示されているのです。

 この正信偈の一節があればこそ、私たちが浄土に生まれることはお慈悲のはたらきによるのだから、何の心配も疑いもありません、とお伝えすることができます。 旧知でもそうでなくても、地方でも都市部でも、私たちの都合を問題としない心強いお慈悲のはたらきの中、安心して今日も法務に励んでいます。

(本願寺新報 2014年09月01日号掲載)

本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より

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