読むお坊さんのお話

大好きなお名前

牧野 光博(まきの みつひろ)

岐阜・大性寺衆徒

美しさのあまり・・・

 5月21日は、親鸞聖人の誕生日をお祝いする宗祖降誕会(しゅうそごうたんえ)です。以前、聖人のお名前にある「鸞」という鳥の物語を聞かせていただきました。

 鸞は中国に古くから伝わる伝説の鳥です。その姿は、やや赤みをおびた体から五色の光を放ち、羽を広げたその姿はまぶしいくらいに光かがやき、鳴き声も美しい五つの音色を奏で、それはそれは美しい声で鳴くそうです。しかし、その美しさのあまり、鸞は悲しい思いをしなければならなかったのです。

 卵を産んでヒナがかえった時のことです。親鳥は餌(えさ)をとってきて与えようとします。しかし、鸞のヒナは、親の姿とは違って、体が真っ黒です。ヒナ鳥からしますと、自分の黒い体と、美しく光り輝く親鳥を見比べて、「なんぼなんでも違いすぎる。こんなのはお母さん違う」と、背を向け餌を食べようとしません。

 そこで鸞の親鳥は悩みました。どうしたら、わが子は餌を食べてくれるだろうか。どうしたら親であることがわかってもらえるか・・・。そして思いついたのが「子どもと同じ姿になろう」ということでした。

 餌をとってきて、わが子の所へ戻る前に、真っ黒の泥沼に行き、光り輝くその体に泥をかぶって、体を真っ黒にして戻っていったのです。するとヒナ鳥は、ようやくお母さんが来てくれたと思い、「お母さ~ん」と言って、餌をもらうようになりました。それからというもの、鸞の親はいつも体を真っ黒にして、わが子を育てていったということです。

呼ぶよりも先に

 このお話を聞かせていただき、ちょっと阿弥陀さまに似ているなと思いました。

 阿弥陀さまは、本来そのお姿、真実の光は、私には見えません。よくわかりません。しかし、わからない、わからないでは、いつまでたっても私にはわかりません。そこで、わからない私と知り抜いてくださったうえで、私にわかる姿をもってあらわれてくださいました。

 「南無阿弥陀仏」というお名号となって、お念仏となってあらわれてくださいました。

 私の耳に聞こえ、私の口に称えられ、私の心にしみ込んでくださり、「まかせよ、必ず救う、親だからね」と、阿弥陀さまは、仏の子である私に「あなたの親はもうここにいるよ」と告げてくださいました。

 鸞の親も、光り輝く美しい姿のままでは、わが子に親であるということがわかりませんでした。そこで鸞は、悩み考え抜いた末に、自ら泥をかぶって真っ黒になることによって、子に親であるということを知らせたのでした。

 さらに味わうと、ヒナ鳥が真っ黒な親の姿を見て「お母さん」と言いました。一見すると、子どもが真っ黒の鳥を親だとわかって、子どもが親の名を口にしたようです。しかし、ここには、子がわかるよりも先に、子が親の名を口にするよりも先に、子にわからせた、呼ばせたのは親のはたらきです。親の苦労があったのです。

 今、私たちも「南無阿弥陀仏」とお念仏を口にしますが、そこには私がとなえるよりも先に、私にとなえさせようとはたらいてくださる親のご苦労が確かにあったのです。

 親鸞聖人のお名前は、インドの天親菩薩の「親」と、中国の曇鸞大師の「鸞」をいただかれたことと思います。

 しかし、これは私の勝手な味わいですが、親鸞聖人も、どこかでこの鸞の物語を聞かれて、鸞の親鳥を阿弥陀さまと重ねて味わわれたのではないかと思うのです。そして、これからは鸞の親鳥のように生きていきたい、阿弥陀さまのお心にそうように生きていきたい。そんな想いから、鸞の親・・・親鸞・・・と名乗られたのではないかと想像をふくらませています。

 阿弥陀さまのお慈悲の心を聞き抜かれた聖人にとって、仏法に縁のない人々、お念仏に背を向ける人こそ、浄土真宗の伝道のめあてであったと思います。私には、親鸞聖人はお名前からも「南無阿弥陀仏」のお心を教えてくださっているように思えます。ですから私にとって聖人のお名前は、うれしく、あたたかく、そして厳しくもあり、大好きなお名前なのです。

(本願寺新報 2014年05月20日号掲載)

本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より

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