待たせ通しの喜び
比賣宮 修三
布教使

立派なご住職にお願い
「棺(かん)おけに入っていただけませんか?」
以前、こんな変わった依頼を受けました。といっても、いま話題の〝終活(しゅうかつ)〟での「入棺(にゅうかん)体験」ではありません。何でも、非常に立派な体格の方が亡くなられたそうで、火葬場に入るギリギリの大きさの棺(ひつぎ)を特注でつくったというのです。その葬儀社の人が私を何度か見かけていたようで、私の体格が亡くなられた方とそっくりだから、特注棺の事前チェックをするので手伝ってほしいというご依頼でした。
実際、棺の中に入ってみると、外から他人事として見ていた時と違って、あらためて自分も必ずこの中に入るんだ、必ず死ぬんだということをイメージせざるを得ません。なるほど、〝終活〟にまじめに取り組む人たちに人気があるのもうなずける気がしました。
そんな私をよそに、葬儀社の方たちの入念なチェック作業も終わりました。
「ご住職、ありがとうございました。無事に終了いたしました。どうぞ、お出になってください」と言われたその時でした。私の体が全く動かないのです。自分で起き上がろうとしても、体のどこにどう力を入れたらいいのかわからない状態になってしまい、何人もの方々に体を支えていただきながら、ようやく特注棺から抜け出ることができたのです。
日頃から「おかげさんで...」と口にしている私ですが、内心では「何でも自分でやっている。ひとさまの手を煩(わずら)わすことなく生きている」と思い上がっていた自分の姿が、あらためて知らされたように感じました。短い時間の〝入棺体験〟でしたが、自分自身を見つめ直す貴重なご縁となりました。
案内状を送り続けて
そんなことがあったためか、しばらくして、また葬儀社の方から連絡が入りました。
「1歳8カ月のお子さんを亡くされた若いご夫婦がおられるのですが...」
ご臨終から、通夜、葬儀までのおつとめだけでよいので、というお葬式のご依頼でした。
20代の若いご夫婦と友人数人だけのお葬式で、私の目の前に置かれた棺は、本当に小さな小さな棺でした。
葬儀が終わり、私はご法話で何をお話ししようかと考えました。小さなお子さんを亡くされたご両親、そして若い人たちだけのお葬式です。少し難しいかなと思いつつ、お釈迦さまの時代にも、子どもを亡くした母親がお釈迦さまに救いを求めてやってきたことを話しました。そして、死は必ず、誰にも例外なく訪れること、阿弥陀さまはそんな私を決して見捨てることなく、お念仏一つでお救いくださることをお話ししました。
葬儀から数週間後、満中陰(まんちゅういん)(四十九(しじゅうく)日)を前にまた連絡が入りました。今度は若いご夫婦がお仏壇を迎えられるので、入仏法要をお願いしたいということでした。私はとてもうれしくなりました。少しは私の話が心に届いたのかなと思ったからです。
法要に向かう途中、私は何かいいものはないかと仏壇店に立ち寄り、正信偈のCDと勤行(ごんぎょう)聖典2冊を買ってお伺いしました。ピンク色の打敷(うちしき)できれいにお飾りされた小さなお仏壇には、お嬢さんを想うお二人の心が表れているようでした。
私は「ナモアミダブツとお念仏申し上げるところに、仏さまはいつもお嬢(じょう)さんとともに、私たちを見まもり続けてくださっているのですよ」と話し、CDと聖典を手渡しました。
それ以来、私はお寺の法座案内を、若いご夫婦に送ることにしました。きっとご仏縁が育(はぐく)まれると思ったのですが、1年経っても、2年が過ぎても、お二人がお参りされることはありませんでした。案内状を出し続けながら、いつしか私は「やっぱり若い人には...」と、お参りに来ない夫婦を責めている自分の心に気付かされました。
「弥陀(みだ)の五劫思惟(ごこうしゆい)の願(がん)をよくよく案(あん)ずれば、ひとへに親鸞一人(いちにん)がためなりけり」(註釈版聖典853ページ)
私は1年や2年どころか、生まれてこの方66年間、阿弥陀さまを待たせ通しだったのです。いや66年はおろか、五劫・十劫という限りない過去から、阿弥陀さまにご心配をかけ通しであったのです。あらためて阿弥陀さまの大悲のお心を、有り難く喜ばせていただきました。
(本願寺新報 2014年03月10日号掲載)
本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より
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