読むお坊さんのお話

リヤカーと仏教

山本 耕嗣(やまもと こうじ)

布教使

ひざの上が定位置に

 私が生まれた年、父は30歳でお茶の行商を始めました。父は私をよく行商に連れて行ってくれました。父は茶箱をリヤカーに積んで「おちゃーエー」と売り声を出しながら、毎日10キロの道のりを行商していました。私はリヤカーの後を押しながら歩きました。

 ところが、そんな私も中学生になると、リヤカーを引いて行商をする旧態依然とした父の姿を恥ずかしく思うようになり、家業を継ぐのがいやでいやで仕方がありませんでした。自分にはもっと格好のいい仕事があるはずだと思ったからです。

 そんな私に家業を継がせてくれたのは、龍谷大学で学んだ仏教と父の仕送りでした。
大学の講義で私の心に大きな変化を与えてくれたのは「宗教学」の講義でした。

 教授に「〝祈り〟は自己の欲望を絶対者に叶(かな)えてもらうことではないのですか」と知ったらしく質問すると、「〝告白〟という意味もありますよ」という答えが返ってきました。その予期せぬ教授からの言葉に私は全身に電撃を受けたようなショックを味わいました。今まで自分の考えは絶対と思っていただけに、教授の言葉は私の「自惚(うぬぼ)れ」を打ち砕いてくださいました。その体験があってからは、仏教を肩ひじ張らずに素直に聞けるようになりました。

しわくちゃのお札

 わが家の宗旨は代々「真言宗」でしたが、龍谷大学の経営学部に在籍しながら仏教を学んだことが私の人生には大きなご縁になり、在学中に得度を受けました。その時から仏教が私の「いのち」になりました。

 そんな私のようなわがまま息子を陰で支え続けてくれたのが、毎月送られてくる父からの「仕送り」でした。現金封筒にはいつもお札が2万5000円入っていました。いつも、しわくちゃの汚れたお札ばかりでした。「跡取り息子に送るお金ぐらい、もうちょっときれいなお札を送ればいいのに...。年を取ったら看(み)てやるのに...」とは言いませんが、不満に思っていました。

 しかし、そのお札は父がリヤカーを引いて、一軒一軒、頭を下げ、お茶を売って稼いだお金でした。それが私の手元に、しわくちゃのまま届いています。新札もしわくちゃのお札もお金の価値は同じですが、しわくちゃのお札には父の限りない「願い」がいっぱい込められています。

 「おまえは跡取りだから、卒業したら家業を継いでくれよ。大学に行くからには、一所懸命勉強してくれよ」。そんなお金を使うとき、いつしか父の願いが先に働いて、「もったいない」という思いが起きて、無駄遣いができなくなりました。愚かな息子には、百の小言よりもしわくちゃのお札一枚のほうが応えるのでした。

 父の仕送りと仏教の出会いが、それまでいやでいやで仕方なかった家業を継ぐ大きな力となりました。お茶と仏教は歴史的に深い関係がある。お茶を通して仏教を肌で学ぶことができて、その上素晴らしい仏教の教えを伝えていけるなら、この道で生きよう。そう思ったとたん、大きな重荷が全身から抜け落ちて急に身が軽くなりました。

 あれから40年、今は亡き父が歩いた10キロの道のりを、父がやっていた通りに今も毎日リヤカーを引いて行商をしています。お茶の売れない時や悩みのある時は、リヤカーを引く足も重くなります。

 そんな時は「たとひあきなひをするとも、仏法の御用(ごよう)と心得(こころう)べき」(註釈版聖典・千317㌻)という蓮如上人のお言葉を思い出します。

 帰宅した時には「今日も1日リヤカーが引けた!」と充実感いっぱいになります。

 それはリヤカーを引く私を、阿弥陀さまが光明で包み込んでいてくださったからに違いありません。

 阿弥陀さまの光明には、私たちの煩悩の闇を破るはたらき(破闇(はあん)の光明)、信心をいただくように導くはたらき(調熟(ちょうじゅく)の光明)、信心の念仏者を摂取(せっしゅ)して捨てないはたらき(摂取の光明)といった三つの側面があるといわれています。

 明日もリヤカーにお茶と仏教を満載して、ご恩報謝のよろこびで、お客さまにお届けします。

(本願寺新報 2014年02月20日号掲載)

本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より

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