読むお坊さんのお話

仏かねてしろしめして

苗村 隆之(なむら たかゆき)

京都・正往寺住職

スタッフもドキドキ

 私が住職を務めるお寺では、保育園をしています。4月、桜が舞う中、かわいらしい新入園児さんが保育園に入園してくれます。と同時に、保育士免許を取得したばかりの新しい保育士さんが就職してくれます。

 これに先立ち、就職前の2月には、新任保育士さんのための研修会を1泊2日で行っています。志(こころざし)を共にする保育園合同の研修会で、毎年10人ほどの新任保育士さんが参加され、各保育園の園長先生や先輩保育士さんが講師とスタッフを兼ねてくださいます。私も今から8年前にその研修会に参加し、翌年からはスタッフとしてお手伝いをさせていただいています。

 この研修会には「恐怖の人差し指」と呼ばれる名物があります。どうして人差し指が怖いのかといいますと、講師である園長先生の人差し指が誰彼かまわず飛んできて質問攻めにあうのです。例えば......、

 「はい、あなた! 子どもが絵の具を誤飲してしまった。どうする?」

 「では君! 子どもが急に熱を出して、今39度ある。どうする?」

 しかも、恐怖の人差し指は研修生だけでなく、私たちスタッフにも飛んできます。ですから、研修生もスタッフもドキドキしながら、いや、きっとスタッフは研修生以上に緊張しながら毎年学ばせていただいております。

私を見抜き寄り添う

 ある年の研修会、まとめの講義でのことです。講師の園長先生は「あなた!」と個人を指差すのではなく、そこにいる研修生やスタッフ全員に向かってこんな質問をされました。

 「では、この研修会最後の質問をします。どこの保育園にも物事をすばやく行うのが苦手な子どもっているやろ。例えば、〝はい、あーつまれ〟って言っても、なかなか集合できない子どもがいる。その子は一生懸命やっている。けれども早くできない。だから、お友達に〝また○○君遅い〟〝○○ちゃん、いっつも遅い〟って言われてしまう。その子がかわいそうやな。

 では、皆さんに質問します。〝あーつまれ〟って集合をかけて、一番遅い子が、一番早く集合できるようにするには、どうしたらいい?」
いかがでしょう。ちょっと考えてみてください。私がその時思いついたのは、

 「うちは幼児クラスには担任と副担任がいるから、一方の先生が集合をかけて、もう一方の先生がその子に〝がんばって一等賞になろう〟と背中を押してあげる」

 これが正解じゃないかなぁと考えました。

 もちろん答えはひとつではありません。先生と子どもの関係、子どもの成長の度合いによって、それぞれに方法があると思います。ですが、講師の園長先生は私たちにこう教えてくださいました。

 「あのな、一番遅い子の横で集合をかけてあげたらいいねん。そうしたらその子が一番や!」

 続けて「これが、みなさんがこれから成ろうとしている保育士にとって、一番大切な『子どもの目線に立つ』ということなんですよ」と教えてくださいました。この答えを聞いた時、園長先生の保育に対する熱い想いをいただいたようで鳥肌が立つくらい感動しました。

 園長先生がおっしゃった「子どもの目線に立つ」ということは、「その子を見抜き、その子に寄り添い応じていく」ということだったのです。

 『歎異抄』に「仏かねてしろしめして」(註釈版聖典836ページ)というお言葉があります。「阿弥陀さまはこの私を、誰よりも深く見抜いてくださっていました」という意味です。私はこの「仏かねてしろしめして」と示される阿弥陀さまのお心を、先ほどの園長先生の言葉を通して味わわせていただきました。

 「こちらにお浄土という素晴らしい世界があるよ。正しい生き方があるよ」とどれほど告げられても、理想の通りに生きていくことができない。阿弥陀さまを目指すどころか、阿弥陀さまに背をむけて、日々愛憎の煩悩を燃やし続けている。

 そんな私と見抜いてくださった阿弥陀さまだからこそ、こちらにひとつの条件・注文をつけることなく、また私を責められることもなく、「必ず救う」と立ち上がり、南無阿弥陀仏のみ声となって私の「今、ここ」にはたらいてくださっているのです。

(本願寺新報 2014年02月10日号掲載)

本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より

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