読むお坊さんのお話

アンパンマンの魅力

末本 弘然(すえもと こうねん)

大阪・正福寺住職

戦いに勝つのではなく

 漫画家のやなせたかしさんが、10月13日に亡くなられました。「手のひらを太陽に」という曲の作詞者としても知られますが、何といっても「アンパンマン」の作者として、とみに有名でしょう。

 絵本『アンパンマン』が誕生して40年、テレビアニメの放映が始まって25年になります。その間、アンパンマンは、つねに子どもたちのヒーローであり、国民的人気キャラクターであり続けているのです。

 私ごとで言えば、20年以上も前のことですが、息子が幼稚園に入る時の面接で、先生から「何が好き?」と尋ねられて、「アンパンマン・・・」と恥ずかしそうに答えていたのを、今も鮮明に覚えています。

 アンパンマンのどこが魅力なのか?なぜ子どもたちは惹かれるのか?――その理由が、やなせさんが亡くなられてから、さまざまな報道を通してわかったような気がします。

 やなせさんは言います。正義のヒーローは「戦いに勝つことではなく、ひもじい者に食べ物を与えることだ」と。アンパンマンのキャラクターは、その信念で貫かれているのです。戦争体験をされたやなせさんならではの発想です。そこから「自分の顔を食べさせることで、飢えから助けてあげる」真のヒーローとして、アンパンマンが誕生したのだそうです。

 「ほんとうの正義というのは、決してかっこいいものではない。必ず自分も深く傷つくものです」とも言われます。

 自らが犠牲になって、弱者や困窮している人を助ける――そこに人びと、特に子どもたちは尊敬のまなざしを持って共感するのでしょう。

大悲の心が私を救う

 「他者を救うために犠牲になる」という出来事は、最近、ほかのところでも話題になりました。

 横浜市緑区のJR線踏切内で、線路上に倒れたお年寄りの男性を、40歳の女性が助け、結果として自身が電車に轢(ひ)かれて犠牲になられました。彼女の行為に対して、種々の反応はあったものの、多くの人々が心動かされ、お花を供え、手を合わせる人が後を絶たなかったといわれます。

 実は、自己犠牲の話は仏教では「付き物」なのです。

 ジャータカ物語では「捨身飼虎(しゃしんしこ)」など、前世のお釈迦さまの善行として数多く語られていますし、「身代わり観音」や「身代わり地蔵尊」など、苦しむ人たちに成り代わって、その苦を引き受ける菩薩の霊験譚(たん)が、全国各地で言い伝えられてきました。

 日本人の心の中に、こうした自己犠牲を伴う救済に深く感動する心、敬い感謝する心が、今もなお、息づいているということなのでしょう。

 かといって、私自身の心の中をのぞいた時に、それがあるかと言えば、お恥ずかしいとしか言いようがありません。

 今、私は、あれだけ世話になった年老いた母を、介護施設に入れたまま、寂しいであろうその母の側に居てあげていません。月に一、二度ぐらいしか顔を見せていないのです。恩知らずなのです。

 また、最近、私は大腸にがんができていたことがわかり、ポリープを切除し、なおかつ、近日、大腸とリンパ節の一部を切除する予定です。そこで思ったことは、いかに大腸に負担をかけていたかということです。つらい思いをさせ苦労をかけ、その上、一部を切り取り捨ててしまうのですから、身勝手としか言いようがありません。申しわけないことです。

 大腸もいのち、リンパもいのち、それらが連携しあって、より大きな「私」と思っている「いのち」を支えていると言えるでしょう。

 まったく都合のいい話ですが、切除されたポリープも、毎日の排泄物も、「自己犠牲」となって、私を生かしてくれているのかもしれません。どんな小さなものであっても、そこにいのちの息吹を感じたならば、それは間違いなく、仏さまの大いなる慈悲のお心に通じるものがあります。

 「摂取不捨(せっしゅふしゃ)」―おさめ取って決して捨てない阿弥陀さまの大悲のお心が、そんな私を救ってくださっています。

(本願寺新報 2013年11月01日号掲載)

本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より

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