読むお坊さんのお話

あなたはどこに

藤澤 信照(ふじさわ しんしょう)

滋賀・浄光寺住職

「つぶてそんぐ」

 あなたはどこに居ますか。
 あなたの心は
 風に吹かれていますか。
 あなたの心は
 壊れていませんか。
 あなたの心は
 行き場を失っていませんか。

 命を賭けるということ。
 私たちの故郷に、
 命を賭けるということ。
 あなたの命も私の命も、
 決して奪われるために
 あるのではないということ。

 2011年の3月11日に東日本大震災が起こり、それに伴い、福島第1原発の事故が発生して、多くの人が被災しました。詩人で高校の国語教師もされている和合亮一さんは、福島県伊達市の学校で被災されました。

 避難所で数日過ごした後、自宅に戻ってからは、数々の詩を作ってツイッターで発信し続けられたのです。それらの詩は大反響を呼びました。

 その詩に感激した作曲家の新実徳英氏が、「つぶてそんぐ」として合唱曲を作りました。

 その「つぶてそんぐ」第1集におさめられた第1曲が、初めに挙げた「あなたはどこに」です。いま、この歌は全国の合唱団で歌われています。

 先ほど紹介したように、この詩は大震災、ことに原発事故で、ふるさとを離れることを余儀なくされた人々に向けて送られたメッセージです。

 私が指導させていただいている永源寺コール・メイプルでも、いま「あなたはどこに」に取り組んでいますので、この曲を歌うときは、できるだけ被災地の方々に思いを寄せるように心がけています。

 その中で、この詩をよくよく味わってみると、ただ被災された方々だけに向けられたものではないと思うようになりました。

 平穏な日常の生活の中にあったとしても、傷つくような言葉を投げかけられて孤独感に襲われ、自分の居場所を見失ったり、逆に、知らず知らずのうちに、周りの人を傷つけ、居場所を奪ったりしてはいませんか、と私自身に問いかけているメッセージとして、私の心に響いてきたのです。

安心のメッセージ

 さて、お釈迦さま出世本懐の経典といわれる『大無量寿経』では、浄土からその説法の座に集まられた菩薩方は、「私たちが願わなくても、私たちのために大いなる慈しみをもって親友となり、私の重き荷物を一緒に背負ってくださる方々である」と讃えられています。

 そのような菩薩方の中でも、ことにすぐれたお慈悲の心をもって現れてくださったのが、法蔵(ほうぞう)菩薩というお方でした。

 師の世自在王(せじざいおう)仏の前で「恐れや不安を抱えて生きるすべてのもののために、私は大きな安らぎとなります」と高らかに宣言し、それを実現するために、長い長いご思案の末に、世に超えすぐれた四十八の誓願をおこされました。

 さらに、もっともっと長い時間をかけて、これらの誓願を実現するための修行を積み、見事に一切衆生をもらさず救い取ることのできる「阿弥陀仏」という仏さまとなられたのです。

 そして「あなたを救い取る手だてはすべて完成したから、どうか私にまかせなさい」という、仏としての名のりが、私の口からこぼれ出る「南無阿弥陀仏」というお念仏なのです。

 いま、『大無量寿経』のお心と「あなたはどこに」という詩に込められたメッセージを重ねてみるとき、

 無明長夜(むみょうじょうや)の灯炬(とうこ)なり
 智眼(ちげん)くらしとかなしむな
 生死大海(しょうじだいかい)の船筏(せんばつ)なり
 罪障(ざいしょう)おもしとなげかざれ
(註釈版聖典606ページ)

 という『正像末(しょうぞうまつ)和讃』の一首が、私の心に強く響いてくるのです。

 私たちは、乗り越えられそうにないほどの苦しみや悲しみに出あうと、つらさのあまり、自ら心を閉ざしてしまいがちです。そんな時、私の心の闇を破り、行く手を照らしつつ、背中を押してくれる温かい言葉、それが「南無阿弥陀仏」という仏さまからの安心のメッセージであると、親鸞聖人はお示しくださいました。

(本願寺新報 2013年09月20日号掲載)

本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より

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