絶え間ない親心
安部 智海
本願寺派総合研究所研究助手

三つの小包が毎月
学生時代、郵便局でアルバイトをしていた時のことです。
私の担当は、小包の仕分けでした。全国から届いた小包を、配達区域に分けて、配達員に引き継ぐ仕事です。さまざまな荷物を、差出人から受取人へと取り次ぐという作業の中で、毎月ある荷物が届いていました。
その荷物は大きな段ボール箱で、重量制限いっぱいの30キロの荷物でした。しかも、その荷物が同時に三つも届くのです。配達準備作業もひと苦労です。ところが不思議なことに、その荷物は配達されても、毎回受け取られることなく郵便局に戻ってくるのです。
戻ってくるたびに、翌日の再配達の手続きをしなければなりません。30キロにも及ぶ大きな荷物を持って、保管室と配達員の間を何度も往復するうちに、だんだんとその荷物が煩わしく思えてきます。「どうせまた返ってくる荷物なのに・・・」と思うと、自分のしている作業もむなしく感じてきます。そして保管期限が切れると、決まって差出人に還付されてしまうのです。どうして受け取りのされない大きな荷物が何度も送られてくるのか、長らく疑問でした。
ある時、その荷物を引き受けてきた局員さんに聞いてみました。すると、その三つの小包は年配の母親が息子さんに送ったものでした。ただ、その方は認知症で、息子さんが引っ越したことも忘れてしまい、元の勤め先の住所に荷物を送り続けているのだそうです。
局員さんは事情を知りつつも、その母親の気持ちを思うと言うに言い出せず、結局、荷物を引き受けていたのだそうです。そして、荷物が息子に受け取ってもらえずに戻ってくるときの母親の気落ちした顔を見るたびに「息子さん、次は受け取ってくれるといいですね」と声をかけるしかなかったのだと教えてくれました。
わが子を思って、重量制限いっぱいになるまで荷物を作る親心とは、どのようなものでしょう。「あの子は、これが好きだったから。これ、あの子に似合うかしら・・・」。きっと、そんな子を思う一心で作られた荷物だったと思います。
あふれるばかりの想いのこもった送りものです。「お母さんありがとう」と、ただ受け取ってくれただけでも、母親は大喜びだったと思うのです。残念ながらその後も、荷物が受け取られることはありませんでした。
ただ受け取るだけ
重量制限いっぱいの荷物を送り続ける親心に触れて、同じように親心のいっぱい込められた南無阿弥陀仏のお念仏がこころに重なってきました。
私たちは、阿弥陀さまのことを「親さま」とお呼びすることがあります。阿弥陀さまが私のことを一人子(ひとりご)のように心配し、苦悩の世界から救おうとはたらき続けてくださっていることをお聞きすると、「親さま」と呼ばずにはおられないからです。
阿弥陀さまはこの私を救うため、五劫(ごこう)というとてつもなく長いあいだ思案され、兆載永劫(ちょうさいようごう)のご修行を積まれた結果、南無阿弥陀仏のお念仏が、この私に届いてくださっています。
「この念仏ひとつに、私のさとりの功徳を全(すべ)て込めましたよ。どうか南無阿弥陀仏の六字を受け取ってくれよ」という親心によって、いま届けられているのです。そのお念仏を受け取ろうともせず、背き続けてきた私の姿は、どれだけ親さまを悲しませ、泣かせてきたことでしょう。にもかかわらず、「次こそは、次こそは」と、南無阿弥陀仏を私に届けようとする親心が、絶え間なく私にかけられていることを聞かせていただくたびに、その親心の大きさに気づかされます。
親鸞聖人は『浄土和讃』に、
南無阿弥陀仏をとなふれば
十方無量(じつぽうむりょう)の諸仏(しょぶつ)は
百重千重囲繞(ひゃくじゅうせんじゅういにょう)して
よろこびまもりたまふなり
(註釈版聖典576ページ)
と詠(うた)われています。
迷いの世界を輪廻する私に「どうか救われてくれよ。南無阿弥陀仏を受け取ってくれよ」という阿弥陀さまの願いを、お釈迦さまをはじめ、十方無量の諸仏もまた願われ、見守ってくださっていたのでした。
ただ受け取るだけで、親さま、仏さまのほうが大喜びしてくださるというのです。その喜びの大きさは、ご苦労の大きさ、これまで待ちわびた気持ちの大きさに裏打ちされているようで、申し訳なさと、ありがたさに、お念仏申すほかありません。
(本願寺新報 2013年09月01日号掲載)
本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より
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