悲しみの意味
漢見 覚恵
滋賀・純正寺住職

長生きの保証書ない
「浄土真宗ってどういう教えですか?」と尋ねられたら、「それはお浄土の真(まこと)を宗(むね)とすることです」と答えます。私のいのちが、人生が、お浄土の真に貫かれているということです。お浄土とは、私がこの限りあるいのちを生き切る依りどころ、支えです。
ところが、私たちの現状はどうかといえば、お浄土が生きることとは無関係なところに切り離されて、死後の世界に追いやられてしまっているように感じます。ですから、60歳や70歳になった方にお寺参りを勧めても、「私にはまだ早いから、当分お参りする気はありません」と言われます。80歳、90歳まで生きられて当然、死後のことなど考える暇があったら、いかに楽しく生きるかを考える方が利口と言わんばかりです。
ちまたでは、いわゆる「平均寿命」なる数字が幅を利かし、あたかも80歳までは生きられるかのように考える人も多いようですが、私は誰からもそんな保証書はもらっていません。私だけでなく、誰一人としてそんな保証はしてもらっていないはずです。
確かに、100歳まで生きる人は年々増えているのかも知れません。しかし、平均寿命に至らずに終わるいのちもたくさんあります。病気が縁で終わる若いいのちもあれば、不慮の事故が縁で終わる幼いいのちもあります。いのちの事実は「老少不定(ろうしょうふじょう)」。老いた者から順番にいのちが終わるのではないのです。
そう言うと、「そんなこと言われなくてもわかっているさ」と言われるかも知れません。しかし、頭ではわかっているつもりでも、私たちの心と体はなかなか理解しようとはしません。だから、大切な人を失った時には、私たちは平静を保つことができず、深い痛みと悲しみに襲われることもあるのです。しかし、そんな時、浄土真宗の教えに触れていると、この痛みや悲しみには大切な意味があることが知らされます。
限りないいのちになる
もう24年も前のことです。私が23歳の時、同級生を交通事故で亡くしました。彼とは、中学校の野球部のチームメートで、3年間共に白球を追った仲間でした。私たちはそれぞれ別々の高校・大学に進学し、彼は教師を目指しました。そして、大学卒業と同時に、彼は東京の中学校に教師として赴任しました。学校では、弱小野球部を任されましたが、持ち前のガッツと牽引(けんいん)力でチームを引っ張り、その年の秋の都大会では優勝を勝ち取ったのでした。彼は、いち早く優勝の報告をと、会場から学校に向けバイクを走らせました。その途中、路面でスリップした彼は、車にはねられ即死しました。
彼の死の知らせを受けた私は、彼の実家へ急ぎました。お仏壇の前に置かれた棺(ひつぎ)の中で物言わぬ彼に、私は胸を切り裂かれるような悲しみに襲われ、葬儀の時もまともに読経ができないほど、悲しみに打ちひしがれたのでした。
しかし、月日の流れの中でその悲しみも次第に薄れ、最近では彼のことも忘れかけたような生活をしていました。ところが、そんなある日、町で偶然、彼の妹さんにお会いしました。彼の面影を偲ぶに十分な妹さんの姿を見た時、思いがけず24年前の悲しみがよみがえってきました。あの時の悲しみは、消えたわけではなかったのです。
お浄土の真(まこと)を宗(むね)として生きる。それは、このいのちがお浄土に生まれさせていただき、仏に仕上がるいのちだと知らされて生きることです。そして、このいのちがお浄土に生まれるということは、限りあるいのちが限りなきいのちに生まれるということです。
この世のいのちには必ず限りがあります。しかし、そのいのちの終わりは「死」ではなく、限りなきいのちへの誕生です。そして、限りなきいのちへの誕生は、同時にそのいのちが、残していったいのちにはたらきだす瞬間でもあります。24年経っても無くならなかった悲しみは、彼のいのちが限りないいのちとなって私のいのちにはたらき続けていた証(あかし)だったのでした。
限りある私のいのちに、お浄土の限りなきいのちがはたらく証。それがいただいた悲しみの意味でした。
(本願寺新報 2013年02月01日号掲載)
本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より
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