亡き友を縁として
長尾 隆司
本願寺派総合研究所研究助手

アメフトの練習中に
毎日毎日、暑い日が続いています。8月といえば、お盆を思い浮かべられることでしょう。私には、お盆になると必ず思い出すことがあります。それは亡き友のことです。
私は学生の頃、とある大学のアメリカンフットボール部に所属し、日本一を目指して仲間たちと日夜励んでいました。
学生アメフトは9月初旬からはじまる秋のシーズンが本番で、わが部では毎年8月のお盆の頃に1週間ほど合宿し、集中して練習を重ねるのです。
最終学年の4年生になると、最後のシーズンですから、自ずとより一層気合いが入り、練習の強度も増すことになる、というのは想像に難くないかと思います。
私が4年生の夏合宿最終日、最後の追い込み練習を終えた時、一人の選手が倒れて意識を失ってしまいました。彼は私の同期で、当時の学生アメフト界において名の知られた優れたプレーヤーでした。
すぐに救急車の手配をしましたが、山の上の合宿所ですから、到着までかなりの時間を要しました。やっとの思いで搬送されましたが、みんな気が気ではありません。最終日ですので次の団体のために合宿所を明け渡さなくてはなりませんから、それぞれ不安な思いを抱えながら私たちは帰路につくこととなりました。
危うい存在の私を
帰りの貸切バスの中、逐一、彼の容体が伝えられますが、芳しいものではありません。そして伝えられたのです。彼が亡くなったと。何とも言えない重たい空気が車内を支配しました。
その時に、私のこころにふっと浮かんできたのは、「それ、人間の浮生(ふしょう)なる相(そう)をつらつら観(かん)ずるに、おほよそはかなきものはこの世(よ)の始中終(しちゅうじゅう)、まぼろしのごとくなる一期(いちご)なり・・・されば朝(あした)には紅顔(こうがん)ありて夕(ゆうべ)には白骨(はっこつ)となれる身(み)なり・・・」(註釈版聖典・1203ページ)という蓮如上人の「白骨の御文章」の言葉でした。
それまでも祖父や曾祖母の死は経験していましたが、まざまざと、「無常」ということを、「生まれたからには必ず死なねばならん。それは年寄りだろうが若かろうが関係ない、いつでも死ぬのだ」ということを、突きつけられ思い知らされたのはまさにこの時でした。
と同時に、「あのとき練習をやめさせていれば・・・。自分がアイツを殺してしまったのではないのか・・・」と、助けられなかった後悔と自責の念を抱きました。この思いは拭(ぬぐ)っても拭いきれません。おそらくこの先もずっと持ち続けていくものと思います。ともかく、この出来事が、浄土真宗のみ教えを聞いていく一つの縁となったことは間違いありません。
このようなことですから、「やっぱり自分は救われてはいけないのではないか。相応の罰を受けるべきではないのだろうか」と思うこともあります。
しかしその反面、例えば自分の気にくわないものに出あうと、「早くいなくなってほしい」と思って恥じもしないこともあるのです。
まさに私というものは、何を考え、何をしでかすかわからない危ない存在です。けれども、阿弥陀さまはそんな私のことなど百もご承知で、「必ず救う、われにまかせよ」と喚(よ)び続けてくださる。本当にもったいないことだと思います。
親鸞聖人は『浄土和讃』に、
安楽浄土にいたるひと
五濁悪世(ごじょくあくせ)にかへりては
釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)のごとくにて
利益衆生(りやくしゅじょう)はきはもなし
(同560ページ)
と詠(よ)まれています。
阿弥陀さまのご本願のはたらきによって、お浄土に往生し仏さまと成らせていただいたものは、大いなる慈悲のこころをおこし、再びこの迷いの世界に還(かえ)り来て、迷いのなかで苦しむ一切の生きとし生けるものを自在に救うはたらきをしていく。
この還相(げんそう)ということは、私の「人生の目標」として大変大事なことです。これも浄土真宗のみ教えの素晴らしいところであり、私の大きな支えとなっているように感じます。
また気持ちを新たにして、み教えを聞き続けていきたいと思います。
(本願寺新報 2012年08月10日号掲載)
本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より
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