読むお坊さんのお話

大いなる灯火

塚本 一真(つかもと かずまろ)

本願寺総合研究所研究員

あんたどこにおる?

 昨年の春に九州新幹線が全線開通し、実家の近くにも新幹線の駅ができました。以前は、京都から九州方面の新幹線に乗ると終点は博多駅でした。そこから在来線に乗り換えてしばらくすると、だんだんと緑が増え、見慣れた故郷の景色が広がってきます。新幹線の駅ができたことで、時間の短縮にはなりましたが、まだなかなか慣れません。

 その新幹線の駅で初めて降りた時のことです。私の実家は、田園に囲まれた地域にあって、今の季節は虫の声がよく響く、のどかな場所にあります。そんな地域にできた新幹線の駅ですから、初めて降りた時は、そこだけ異空間のようでした。天井が目映(まばゆ)いばかりにピッカピカで、「すごいのができたなあ」と感心しながら改札を抜けました。しかし、一歩駅を出ると辺りは真っ暗でした。

 母と出口で落ち合うことになっていましたが、姿が見あたりません。反対側かと思い、そちらへ行ってみると、そこにも見あたりません。すぐ近くに在来線の駅があり、そっちだったかもしれないと思い、さらに行ってみましたが、やはり姿はありません。ウロウロとして最初に出た所まで戻ってきてしまいました。

 よく考えたら具体的な場所を決めていなかったのです。慣れた駅ならば、どこの出口ということは言わなくても暗黙の了解でわかるものですが、初めて降りた駅です。実家から車で10分ぐらいの場所にあり、私は妙に慣れたつもりでいたのですが、向かうべき実家がどの方向にあって、駅のどの出口から出ればそちらに近いのか知らなかったのです。

 その時です。

 携帯電話が鳴りました。母からです。

「あんたどこにおるとね?」
「どこって・・・」

 遠くに明かりは見えますが、あたりは真っ暗で、東西南北を判断するような目印は見つかりません。

「駅の表ね? 裏ね?」
「表か裏かわからん・・・」

自分がどの方向を向いて立っているのかわからないのですから、表も裏もあったものではありません。

「何が見えるね?」
「広い駐車場・・・」
「わかった。そしたらそこまで行くけん。そのままそこにおりんしゃい」

 電話を切って間もなく、真っ暗な景色の中に母の車のライトが見えました。母の話を聞いて車に乗って、はじめて私がどちらを向いていたのかがわかりました。

迷いに気付かない私

 仏教では、私自身のあり方を「迷い」と言います。

 それは、私が苦悩の解決のために歩むべき方向を知らず、知らない私であることさえも気付いていない、煩悩をそなえた存在であるからです。

 阿弥陀如来という仏さまは、そのような私であることを知って、放(ほう)ってはおけず、必ず救うと願われた仏さまです。

 親鸞聖人は、阿弥陀さまのことを光の仏さまであると、そのご著作のさまざまなところでおっしゃっています。

 『正像末和讃(しょうぞうまつわさん)』には、

  無明長夜(むみょうじょうや)の灯炬(とうこ)なり
  智眼(ちげん)くらしとかなしむな
  生死大海(しょうじだいかい)の船筏(せんばつ)なり
  罪障(ざいしょう)おもしとなげかざれ
   (註釈版聖典606ページ)

 と、阿弥陀さまの必ず救うと誓われたご本願を、絶えることのない大きな灯火に譬(たと)えられています。

 夜の闇の中にある大いなる灯火のように、迷いながらの人生にも、この私を照らす光があるのです。

 親鸞聖人は、迷いを打ち破る眼(まなこ)がないからといって悲しむことはない、とお示しになられています。それは、ほかならぬ阿弥陀さまがおられるからです。

 進むべき方向も知らずにウロウロと迷い、自分の居所がどこなのかもわかっていない私であることを知って、「そこまで行くけん。そのままそこにおりんしゃい」と言ってくれた母のように、阿弥陀さまはこの私のもとに南無阿弥陀仏の声の仏さまとなって喚(よ)びかけ、至り届いてくださっています。そして、この私をお浄土へ迎えとり、仏とならせてくださるのです。

(本願寺新報 2012年07月20日号掲載)

本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より

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