読むお坊さんのお話

おかげさま 阿弥陀さま

平山 義文(ひらやま ぎぶん)

布教使

お弁当の温もり

 35年前の春4月、高校へ入学して下宿生活を始めたある日、本来は、2年生担当の数学の先生が、都合でひとクラスだけ1年生の私のクラスを担当されました。その先生は、下宿生活で昼の弁当がない私のために、先生方が取られている弁当を、ご厚意で一緒に取ってくださることになりました。

 毎日、弁当を先生から受け取り教室で食べ始めた半月後のこと、職員会議で「先生と生徒が同じ弁当を食べるとは、けしからん」と大問題になり、弁当は取ってもらえなくなり、先生も、私のために、ひどく怒られたそうです。

 翌日、先生は「弁当、取ってやることができなくなったわ。すまんのう」と私に断りを言われ、「取ってやると約束して取ることができなくなったのは、私に責任があるから、明日からお前の弁当は私が作ってくる」と、その翌日から私のために約3年間、弁当を作ってきてくださったのです。

 本当に有り難く、これほど人の温もりを感じうれしかったことはありませんでした。

 しかし、高校3年生の2月、大学も決まり、卒業間近で気も緩み浮かれていた頃、私は学校を休んだのです。その先生は、金曜日が休みの日でしたので、「今日は弁当を持って来られない日だ。サボってやれ」と、学校を休んで下宿で寝ていたのです。

 ところが、先生は学校がお休みにもかかわらず、わざわざ弁当だけ学校へ届けに行き、私が休んでいるとわかると、下宿先まで私のために足を運んでくださったのです。怒ることもせず、「明日は出て来いよ」とひと言、声を掛けられただけでした。

 一人下宿生活する私を温かく見守り、道を逸(そ)らさないように導いてくださった先生に背き、ここまで私のことを考えてくださる先生のご厚意に対してとても恥ずかしく、これほど反省したことはありませんでした。その時の弁当の味は、一生忘れることができません。

一如(いちにょ)の世界から

 温かく見守り育ててくださる先生の大きな力に支えられ、おかげさまで無事、高校を卒業。そして進学した京都の大学も卒業し、実家の広島へ帰り副住職をしていたある日のことです。

 大学の恩師から見合い話をいただき、京都で見合いをすることになりました。その時の相手が何と、高校の時、弁当を作ってくださった先生の娘さんでした。その後、結婚して3人の子どもに恵まれ、その先生は今では、優しいおじいちゃんとして、私たちのことを見守ってくださっているのです。

 3年間の高校在学中、一度もご縁のなかった先生は何人もいらっしゃる中、本来2年生の担当で、会わなかったであろう先生と出遇(あ)い、弁当まで作っていただき、その娘さんとも結婚して35年の歳月が流れました。そして、これからも末永くずっとお付き合いがあるのだと思うとき、自分の考え、力では及びもしない、計り知れない大きなつながり、かかわり合いの中で生かされていることに気付かされるのです。

 仏さまは、すべての存在をあるがまま如実に見尽くされ、何一つぽつんとあるものはなく、すべてつながり、かかわり合い存在することを「縁起(えんぎ)」(相依相関(そうえそうかん))の法として教えてくださいました。この縁起の法にうなずかずにはおれません。

 この教えをいただき、「決して一人で生きているのではないのだ。自分の気付かない大勢の陰(かげ)の力があればこそ、今があるのだ」と、謙虚に生き抜かれた先人が残してくださった言葉が「おかげさま」です。自分は気付いていなくても、支えてくださる大勢の人や物に感謝し、自分さえ良ければいいという傲慢(ごうまん)な生き方を戒めながら日々、歩みたいことです。

 そして、すべてのいのちのつながりを、自他不二(じたふに)、自他一如(いちにょ)(一つの如(ごと)し)と、さとりきわめられたのが阿弥陀さまです。その大きな一如のお慈悲に抱かれているのが私の命です。

 問題を抱え、悩み、苦しみ、悲しむこの私のことを思い、その問題をわが問題と受けとめ、おはたらきくださるのが阿弥陀さまです。決して一人ではありません。いつも阿弥陀さまが「南無阿弥陀仏」となって常に願い守ってくださっているのです。

(本願寺新報 2012年03月20日号掲載)

本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より

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