読むお坊さんのお話

いのちの壁

筑波 義厚(つくば ぎこう)

秋田・慧日寺住職

みんなの願い

 先日、組(そ)内の連続研修会で「環境やいのち」について学ぶ機会がありました。

 環境破壊の現実を見るにつけ、地球温暖化や海洋汚染、熱帯雨林や野生生物の種の減少、廃棄物の処理問題や酸性雨による被害など、枚挙にいとまがありません。

 これらの問題の原因を作っているのが人類であることは、全く疑う余地がありません。その陰で人間以外の数え切れないいのちが失われてきたことを、私たちは決して忘れてはなりません。

 もし、今からでも人類が目指す方向を180度転換できるなら、これらの問題も徐々に改善していくかもしれません。

 もう10年ほど前になるでしょうか、テレビで「週刊ストーリーランド」という番組が放送されていました。

 視聴者から寄せられるストーリーを、アニメ仕立てで構成し直したものでした。フィクションですが、いまだに心に残っている一つのストーリーがあります。それは「みんなの願い」というお話です。

 ある時、神さまからのメッセージが、地球上に届けられました。

 「一週間後に、地球は七色の光に包まれる。その時、それぞれの心の中で願い事をしなさい。その中で最も多い願いを、地球のみんなの願いとしてかなえよう」というものでした。

 そこで、超大国であるA国の若き大統領を中心に国際会議が招集され、世界中の願いを一つにまとめようとしました。ところが、各国の利害が対立して、混乱が増すばかりとなりました。

 このままではいけないと、若き大統領は世界のためにある決断をします。

 それは「みんなが願うことをやめよう」という呼びかけでした。

 いよいよ願いをかなえる日がやってきました。地球のみんなの願いとはいったいどんな願いなのか? そして、願いがかなえられることになったまさにその瞬間......。

 人類はすべて滅亡してしまいました。

一如(いちにょ)のあり方を私に

 なぜ、人類は滅亡してしまったのでしょうか。それは、人間以外の多くの生き物が「この地球から人間を消滅させてほしい」という願いを持ったからでした。それが地球上で最も多い「みんなの願い」だったのです。

 好き放題にいのちをむしり取る人間に対して、他の生き物がそんな願いを持ったとしても、何ら不思議ではありません。もし、犠牲になった多くのいのちが、人間にわかる言葉で訴えたとしたらどうなるでしょう。金子みすゞさんの詩「大漁」に出てくる「何万の鰮(いわし)のとむらい」の声は、私たちにどう聞こえるのか。その悲痛な叫びが轟音(ごうおん)となって、人類をのみ込んでしまうことでしょう。

 阿弥陀如来のご本願は、「十方衆生(じっぽうしゅじょう)」に対して建てられた願いです。本来、「衆生」とは生きとし生けるものすべてであって、人間だけを指す言葉ではありません。

 ところが人間は、勝手に衆生のあいだに壁を作り、人間とそれ以外の生き物とを分け隔ててしまいます。

 「いのち」と言われても、人間にしか思いが及びませんし、他人よりも自分のいのちにしか関心がありません。

 如来さまとは、自他の壁のない一如のあり方を知らせるために、私の元にやって来てくださったお方です。

 自分は自分、他の世話にはならないなどと、いのちに自他の壁など作ったら、真っ先に自分のいのちが立ちゆかなくなってしまうだけです。他のいのちのおかげで成り立っている私のいのちなのに、自分のいのちしか大事にしない私に、阿弥陀如来は他を思いやることの大切さを教えます。

 お念仏を申すということは、阿弥陀如来のおこころにかなう人生を歩むという、自らの生き様を表明することです。いのちはみんな同じだ、自分のいのちと同じように他のいのちも思いやるのだという阿弥陀如来のおこころを体して、精いっぱい、お念仏の道を歩んでまいりましょう。

(本願寺新報 2011年11月01日号掲載)

本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より

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