読むお坊さんのお話

しっかり刻まれてます

田井 智彦(たい ともひこ)

岡山・蓮乗寺住職

亡くなった後の仕事

 先に亡くなった人はズルイ、と思うことがあります。こっちは老(ふ)けていくばかりなのに、まぶたの裏に浮かんでくるあの顔も、耳の奥底に残っているあの声も、まったく歳を取らないし、なにより、悪い思い出は色あせて、いいイメージばかりが色濃くなっていくんですよね、なぜか。

 残してくれた言葉だってそう。ちょっと困ったときなんか、すぐに頼りにしてしまうんです。死んでるのに、「たぶん、こう言うだろうな」とか「ああ、怒られる」とかね。言われっぱなしで反論もできないし、ときには、それがしがらみになったり足かせになったりする。でも、それはそれで心地よくもあるんです。あの人がまだわたしの人生に関(かか)わっている、みたいなものですね。残された言葉というか教えに、亡き人の願いが込められているからなんでしょうか、逆らえないんです、あの人に。だから、ズルイ。

 亡くなる前は、そうじゃなかった。関係が近しければ近しいほど、「言われんでもわかっとるわ」と反発して、ケンカにもなりましたよね。でも、いなくなって初めて気付くんです、「ああ、このことを言ってたのか」って。死んだ人は、亡くなった後の方が仕事するって、そういうことなのかってね。わたしの所へ還(かえ)ってくるって、こういうことなのかと思うんです。

 誰にだって、懐かしい人との思い出はごまんとあるし、忘れられない言葉の一つや二つはありますよね。もちろん、わたしにもあります、そんな言葉が二つほど──

死を覚悟した状態で

 「田井よお、ホンマ苦しいときはなあ、殺してくれとしか思われへんのや。命の瀬戸際で、お念仏なんぞ出えへんぞ」

 何があっても裏切れない大恩人であり、二人いる師匠の一人、僧侶であり説教師であり物書きだった某先生のひと言。もう10年近く前の話です。

 型破りで精力的、前をしっかと見すえながらも、繊細かつ淋(さび)しがり屋で人の心を読むのが実に巧(うま)い人でした。

 缶に入った両切りのタバコを、40本から50本も喫(の)んでいたんです、1日に。成るべくしてなった「肺がん」。お連れ合い曰(いわ)く、「肺がんになって本望。他のがんなら後悔してたけど、あれだけタバコを吸ってたからね」

 病に冒(おか)されても、先生は先生のままでした。

 「好き放題、充分(じゅうぶん)生きた」と豪語したかと思えば、人生初の入院で、お経典の「人は、ひとり生まれ、ひとり死んでいく」の言葉を実感し孤独に身がさいなまれた、とも聞きました。

 手術前の検査を重ねるうち、カルテの中だけに自分の命があるかのように錯覚されたそうです。重要な検査の当日朝、始発のモノレールに飛び乗り逃げ出しもしたそうです。

 長時間の検査に身体がたえきれず、持病の喘息(ぜんそく)が暴発。とうとう、西洋医学に見切りをつけ、漢方薬を服用するように。

 「どや、元気そうになったやろ」の言葉は弱々しく、肉はそげ落ち骨と皮だけのような身体に。激しく咳(せ)き込み、呼吸器の入り口にへばり付く痰(たん)を切る。悶え苦しむしかない状態。「死」を覚悟されたのか、「死」を待っておられたのか。そのころ言い放ったのが、先ほどの「お念仏なんぞ」の件(くだり)です。

もう一つのメッセージ

 死の淵に立っていると実感した人間の本音を吐露してくれたんだと思います。でも、「やっぱり、ナンマンダブツやのう」と言ってほしかった。だから、忘れられない。

 話はこれで終わりじゃありません。結局、近代医学に降伏して終末医療を受けることに。緩和ケアによって小康を得られました。最後のお見舞いで、わたしの胸にしっかりと刻んでくれた、もう一つのメッセージ──

 「ワシはなあ、自分からお念仏を捨てたと思い込んどったんや。でもなあ、田井よお。阿弥陀はんは、ワシを捨てずにいてくれてたんや。ほら、いまでも、ワシの口から、ナンマンダブツが出てくださるんや。変わってないんや。捨てられてないんや。ひとりじゃなかったんや。かたじけないのう」

 うれしすぎて忘れられない、お浄土を恋しくさせる珠玉のひと言です。

(本願寺新報 2010年09月20日号掲載)

本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より

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