読むお坊さんのお話

「はやぶさ」が届けたもの

観山 正見(みやま しょうけん)

国立天文台台長

地球誕生の頃のまま

 最近、火星と木星の間にある小さな星「イトカワ」に行った惑星探査機「はやぶさ」が帰ってきました。往復7年もの歳月をかけて、さまざまなトラブルに見舞われながらも、無事地球に帰ってきました。

 さらにうまくいけば、地球まで届いたカプセルの中に、小惑星「イトカワ」の塵(ちり)が入っているかもしれません。

 その塵には、46億年前の地球ができた頃のそのままの状態が封印されていますので、太陽系形成の謎を明らかにできるかもしれません。そのため世界中が注目しています。

 宇宙は、実に137億年前に始まったといわれています。

 地球ができるずっと前から、宇宙は存在していたのです。気の遠くなるような過去ですね。

 では、宇宙が始まって、地球ができるまでの約90億年のあいだには、何があったのでしょう。私たちにはちっとも関係がないかといいますと、大ありなのです。

 地球上の海の水、植物、そして私たちのからだを作っている物質すべては、この90億年間に、星のなかでゆっくりと作られたものなのです。

 宇宙の中では、星が生まれ、成長し、やがて爆発して、物質が宇宙空間に戻っていきます。この星の一生の繰り返しを何度も経た後、さまざまな物質の元が作られたのです。

 従って、「はやぶさ」が「イトカワ」の塵を持ち帰っていたとしますと、地球ができた46億年前の無垢(むく)の物質が探れるのです。

 一方、地球上の物質は、火山や生物の影響などを多様に受けていますので、もともとの姿を留(とど)めていないのです。

 このようにみていくと、私は今年59歳になりますが、本当のからだの寿命を考えますと宇宙の年齢プラス59歳、つまり、137億59歳なのだと気づかされます。長い永い時間の、いろいろな働きによって、今ここに生かされている自分であると思い知らされます。作詞家の永六輔さんも同じことをお話しされていると聞きました。

無限の過去から私のために

 137億年と聞くと想像もつかない時間ですが、仏の世界はもっと長大でした。

 ご開山(かいさん)・親鸞聖人の詠(よ)まれたご和讃(わさん)(註釈版聖典566ページ)に、

  弥陀成仏(みだじょうぶつ)のこのかたは
  いまに十劫(じっこう)とときたれど
  塵点久遠劫(じんでんくおんごう)よりも
  ひさしき仏(ぶつ)とみえたまふ
(阿弥陀さまが仏と成られて十劫という時間が経(た)つとお経(きょう)に説かれていますが、それよりはるか昔の塵点久遠劫より久しい仏と思われます)

とあります。

 「劫(こう)」というのは、仏教で使う長い永い時間の単位です。現代の時間でいいますと、諸説があるのですが、私なりに計算してみますと、なんと宇宙の年齢(137億年)の約3京(けい)(10の16乗)倍でした。

 法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)さまが、修行の後に、阿弥陀さまとなられて十劫の時が経(へ)ましたと、お経にはあります。それだけでも、想像もつかない時間の長さです。

 しかし、親鸞聖人は、私たちが阿弥陀さまのおはたらきによって信心が開かれるならば、阿弥陀さまは、無限の彼方(かなた)の過去より、私たち一人ひとりのためにはたらいてくださる仏さまであったと気づかせていただくと説かれています。

 私たち凡夫のことを想って、ずっと以前より、まさしくいつでも、どこでも、どのようなときも、お慈悲のはたらきをかけてくださる阿弥陀さまなのです。

 そのような仏さまがおられるということに感激するばかりです。そのことに気づかせていただきますと、お念仏するこころを、さらにいだきます。

 「はやぶさ」が持ち帰ったかもしれない小さな塵は、小さいですけれども、地球の生まれたときの姿を留めているかもしれません。

 それもすごいことですが、もっと大きな感激は、阿弥陀さまは、目には見えませんけれど、無量の寿命をもって、ずっと以前より、私たちを慈悲の心で包んでくださっていることです。本当に有り難いことです。

(本願寺新報 2010年08月01日号掲載)

本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より

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