読むお坊さんのお話

「不思議」ということ -仏と真反対の私であると知らされる-

内藤 知康(ないとう ちこう)

勧学 福井県若狭町 覚成寺住職

仏が仏になるのは・・・

 『歎異抄』第一章の冒頭に、「弥陀の誓願(せいがん)不思議にたすけられまゐらせて、往生をばとぐるなりと信じて」という言葉が出てきます。「誓願不思議」という言葉は、親鸞聖人のご和讃(わさん)(『浄土和讃』冠頭(かんとう)讃)にも出てまいりますし、その他、「誓願不可思議」や「不思議の誓願」「不可思議の誓願」という言葉も何度か出てまいります。不思議と不可思議と意味に大きな違いはありません。

 さて、「不思議」ということについて、『蓮如上人御(ご)一代記聞書(ききがき)』(本七七条)には、興味深いエピソードが紹介されています。

 蓮如上人がお書きになった六字のお名号が、おそらく火事によってでしょうか、焼けて六体の仏さまになられたという話がありました。お弟子の「不思議なことですね」との言葉を聞かれた蓮如上人は、「仏(ぶつ)が仏になるのは不思議なことではない。悪凡夫(あくぼんぶ)が阿弥陀仏におまかせすることによって仏になることこそが不思議である」と言われたそうです。

 浄土真宗の教えでは、阿弥陀仏と南無阿弥陀仏のお名号とは別なものではないとされています。その意味で、蓮如上人が、「仏(六字の名号)が仏(六体の仏さま)になるのは不思議なことではない」とおっしゃったことにはうなずくことができます。

 そして、「悪凡夫が阿弥陀仏におまかせすることによって仏になることこそが不思議である」とおっしゃることにもうなずくことができます。「悪凡夫」というのは、仏になる能力を全く持っていない者のことです。仏になる能力を全く持っていない者が仏になるというのは、確かに不思議なことです。

 でも、もう一度考えてみましょう。紙に書かれた文字が焼けて仏になるというのは、普通では考えられないので、やはり不思議なことでしょう。また、それをする能力を全く持っていない者がそれをすることができるのは不思議だということですが、空を飛ぶ能力を全く持っていない私たちが、飛行機に乗って空を飛ぶことができるというのは、それほど不思議なことではありません。

私の問題かどうか

 では、蓮如上人のお言葉は、どのように頂くべきなのでしょうか。紙に書いた文字が焼けて仏になるということと仏になる能力を全く持っていない悪凡夫が仏になるということとの違いが何なのかというと、それは、私自身の問題なのか、そうでないのかという違いです。

 紙に書いた文字が焼けて仏になるというのが不思議だというのは、舞台で行われている奇術を見て不思議だなあと感じているようなものです。たとえば舞台の上の美女が恐ろしい虎に変わろうが、かわいい子犬に変わろうが、観客席から見ている者にとって不思議なことだということに違いはありません。

 一方、仏になる能力を全く持っていない悪凡夫が仏になるのが不思議だということですが、仏になる能力を全く持っていない悪凡夫というのは私自身です。仏は一切を平等に見る眼と一切を区別して見る眼とを持っておられます。それは平等であるままを区別して見る眼であり、区別があるままを平等に見る眼です。ところが、私たちは区別して見る眼しか持っていません。しかも、私たちは区別したものにとらわれ、とらわれたものに対して、自分勝手に好きになったり嫌いになったりします。そして、好きなものを欲しいと思い、嫌(きら)いなものの存在に腹を立てたりします。

 もちろん仏は、区別する眼で見ても、それにとらわれたり、また好きであるから欲しいとか、嫌いであるから許せないとかとの思いを持ったりはなさいません。

 『尊号真像銘文(そんごうしんぞうめいもん)』という書物において親鸞聖人は、仏は真実そのものであり、私たちには一片の真実も無いとお示しになります。まさしく私たちと仏とは真反対の存在であるということができるでしょう。そして、仏と真反対の私であると知る(親鸞聖人は信知(しんち)といわれます)と、このような私が仏になることができるとは、とても思えません。そのようなあり得ないと感じることが私の身におこるというのが、誓願不思議なのであり、『歎異抄』の「弥陀の誓願不思議にたすけられまゐらせて」の「誓願不思議」もそのような不思議と頂くべきなのです。

(本願寺新報 2017年05月01日号掲載)

本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より

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