"おあずかり" -みんな同じ道を歩む仏さまのお弟子-
苅屋 光影
布教使 広島県福山市・光行寺副住職

初穂をお供えに
お寺からご門徒のお宅にお参りに行きますと、さまざまなものを頂戴(ちょうだい)します。お米やお野菜、干し柿や梅干しなど、いずれも大切に作られた中から一番立派なものをお寺にお供えくださいます。
ある農家のご門徒のお宅にお参りした時、こんなお話を聞かせていただきました。これまで何度か田んぼを売ってほしいと、業者の方が来られたそうです。今は田んぼを売るつもりはないと断られたそうで、その理由を教えてくださいました。
売ってほしいと言われた田んぼは、日当たりなどの条件がよく、良質のお米が取れるために先祖代々大切に守ってきたそうです。その良質の田んぼでできたお米を、お寺やわが家のお仏壇にお供えしておられたのです。
そして幼い頃、おじいさんから、「どうかこの田んぼでできた一番おいしいお米は、自分たちが食べるのではなく、お寺やお仏壇にお初穂としてお供えをしてほしい」と言われたそうです。
「いつまで農業ができるかわかりませんが、私の代ではできる限り祖父からあずかった田んぼと、お供えする心を受け継ぎたいんです」とお話しくださいました。
「祖父からあずかった田んぼ」とお聞きして、私たち僧侶も、阿弥陀さまや親鸞聖人からお寺やご門徒を「おあずかり」していると思いました。そして、ご門徒も同じように、阿弥陀さまや親鸞聖人からお寺やお仏壇を「おあずかり」されています。
一番立派なお米をお初穂としてお供えされるご門徒さんのすがたを通して、お寺やお仏壇を大切に「おあずかり」してくださっていることを教えていただきました。
涙ぐましい努力
私のお寺では、祖父と祖母がはじめた門信徒会と仏教婦人会が続いています。今年、門信徒会が50周年、昨年、仏教婦人会が60周年を迎えました。祖父と祖母は結成当時の記録を詳細にまとめて残しています。あらためて読み返してみると、さまざまなことを教えられます。
親鸞聖人七百回大遠忌法要を契機としてはじめられた門信徒会運動の中、私のお寺では1964年に第1回門信徒講座が開催されました。さらに「門信徒会」という組織の設立を目指しますが、翌年には会長が病気で、その翌年には祖父が倒れたため頓挫してしまいます。
その後、お寺の行事として門信徒講座は続けられますが、本来の目的である門信徒会という組織の結成には反対が多かったようです。
「なぜ門信徒会が必要なのか」「そんなものは他のお寺にはない」という反対意見の中、各地区を祖父は説得して回ったそうです。そして5年後の1969年、門信徒会が結成され、今年50周年を迎えました。
一方、1958年の仏教婦人会の結成は、さらに困難を極めたようです。祖父は「坊守の涙ぐましい努力があった」とだけ記しています。
戦後の貧しい生活の中で、お寺の活動に反対意見も寄せられ、仏教婦人会も最初は仏教婦人会講座として、新聞に折り込み案内をしてはじまりました。祖母は「このままではいけない、仏さまに申し訳ない」という思いから、ご門徒お一人お一人に直接、お会いして仏教婦人会結成の思いを伝えました。
住職であった祖父は当初、「とても難しいだろう」と本気にしていなかったそうです。しかし、祖母の決意は固く、一人が二人に、二人が三人にと小さな輪が少しずつ広がっていき、1954年に第1回の仏教婦人会講座が開催されました。
祖母の原点をたずねてみると、祖母は生家から嫁ぐ日に父親から、「一生かけて一人でよい。本物のお念仏をよろこぶお同行をお育て申せよ」という言葉を贈られたといいます。祖母は、その言葉を胸に、一生をかけてお念仏をよろこぶ人をお育てし、共に歩んでくださったご門徒によって祖母自身もお念仏を申す一人に育てられてきたと思います。
第三代覚如上人は、『口伝鈔(くでんしょう)』に「みな如来の御弟子(おんでし)なれば、みなともに同行(どうぎょう)なり」(註釈版聖典881ページ)と述べられています。
私たちはみんな阿弥陀さま、親鸞聖人のお弟子であり、共に同じ道を歩ませていただいている同行なのです。阿弥陀さまや親鸞聖人、そしてお念仏をよろこばれた先人から「おあずかり」したお寺やご門徒と共に、私自身もお念仏をよろこぶ一人にならせていただきたいと思います。
(本願寺新報 2019年02月10日号掲載)
本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より
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