読むお坊さんのお話

"学ぶ"は"まねぶ" -少しでも仏さまの真似をして-

佐竹 真城(さたけ しんじょう)

本願寺派総合研究所研究員 栃木県那珂川町・常圓寺衆徒

私を映す鏡

 私には、まもなく3歳になる娘がおります。2歳の中頃に保育園へ通い出してから、どんどん言葉が出てくるようになり、言葉での意思の疎通ができるようになってきました。「パパ、ぎゅーして」とか「パパ、だーいすき」などと言われた時には、もうメロメロです。

 ある日、私が自室に籠(こ)もって作業をしていると娘がやってきて、いつものように「パパ、ぎゅーして」とねだるのです。私は作業の締め切りも迫っていたことから、「いま忙しいから、また後でね」と言ってやり過ごそうとしたのですが、娘は悲しそうな顔をしながら、再度「パパ、ぎゅーして」とねだりました。それを聞いた私は「いま忙しいからできない! また後でって言ってるでしょ!」と、つい怒鳴ってしまったのです。すると、娘は泣きながら母親の元へ走っていきました。

 実はこのやりとり、一度や二度ではありません。毎回、娘の悲しそうな顔と、去っていくすがたを見て、「しまったなぁ」と思うのですが、恥ずかしながら、同じことを繰り返してしまいます。

 別の日、保育園へ行くための朝の準備をしているとき、「そろそろお着替えしようね」と娘に伝えると、「いやー!後でね!」との返答があり、一向に準備をしようとしません。私は時間に追われているイライラから、「後でねじゃない! 早くしなさいって言ってるでしょ!」と娘を叱りつけたのでした。

 このようなやりとりも、わが家の日常茶飯事ですが、冷静に考えてみると、娘は私のかわし方を真似(まね)しているだけなのです。このことに気がついたとき、娘を通して私のすがたを見せつけられた、そんな気分になりました。まさに、娘は私を映す鏡であったのです。

 鏡といえば、善導(ぜんどう)大師は『観経序分義(かんぎょうじょぶんぎ)』において、
  これ経教(きょうぎょう)はこれを喩(たと)ふるに
  鏡(かがみ)のごとし。
   (註釈版聖典七祖篇387ページ)
と述べておられます。

自分のものさし

 娘を通して知らされた自身のすがたですが、それがよいすがたであるのか、悪いすがたであるのかは、受け止める人によって大きく変わってきます。「よし、自分に似て素晴らしい人間になるに違いない」と感じるか、「なんと自分勝手であったのか」と感じるかでは、受け止め方に大きな差がありますね。

 私たちは、種々の判断に迫られたとき、〝自分のものさし〟、すなわち自己中心的なものの見方をしてしまいます。そして、それぞれが自分の基準を振りかざした結果、相いれない者とは争いを起こし、苦しみ・悩みを積もらせていきます。

 しかし、人や状況でコロコロ変わってしまうものは真実とは呼べません。仏教に身を置いたとき、真実はあくまでも仏さまの教えです。言い換えれば、お経や、お経に基づいた祖師方の教えが〝ものさし〟となるわけです。

 私のすがたを仏法に照らし合わせてみると、自分中心に考えることしかできない愚かなすがたであることに気づかされます。

 最初の話では、娘は自分の欲求を満たすため、私の都合などおかまいなしに「ぎゅーして」と伝え、私は娘の気持ちを慮(おもんばか)ることなく、自分の都合を優先して「後でね」と答えています。一方では「着替えようね」「早くしなさい」と私の都合を娘に押しつけていますが、娘は自分がしたくないので「後でね」と答えています。

 どちらの出来事も、私と娘がそれぞれに〝自分〟を中心に考えているが故に起こった衝突なのです。私たちは、このような〝自分が〟という我執から離れることができません。ましてや、自分中心に考える親を見ている2歳の娘が自分中心であるのは当然のことです。

 仏教には、素晴らしい徳を持つ仏さまをはじめ、その導きにしたがって精進(しょうじん)された多くの先人たちとの出遇(あ)いがあり、さまざまな面でたくさんの学びがあります。

 殊(こと)に阿弥陀さまは、私のことを一番に願い、優しく見守ってくださる仏さまであると聞かせていただいております。そして、昔から、そのすがたを親に重ねて味わわれてきました。

 子は親を見て育つと言われます。古くは〝学ぶ〟を〝まねぶ〟と読んだそうですが、私が阿弥陀さまを少しでも真似させていただいたならば、きっと娘も真似してくれるでしょう。それが、娘の健(すこ)やかな成長につながると思い、今後も学びを深めてまいります。

(本願寺新報 2019年03月01日号掲載)

本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より

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