読むお坊さんのお話

いつでもどこでも -どんな時も見捨てることのない眼差し-

三上 明祥(みかみ みょうしょう)

布教使 滋賀県大津市・本福寺住職

「見ててくれたん」

 「根を養えば、樹(き)は自(おの)ずから育つ」

 浄土真宗の僧侶で、教育者でもあった故東井義雄(とういよしお)さんの言葉です。

 木が大きく育つためには、根がしっかりとしていなければなりません。同じように、人間が生きていく中で、その人生の土台となるものが養われれば、子どもは自ずと大きく育っていくのです。それでは、私たち念仏者の人生を支える「根」とは一体何でしょうか。

 私は、お寺の住職とともに、保育園の園長をしています。数年前の運動会でのことです。年長の園児によるクラス対抗リレーがありました。そのレースが終盤に差しかかった時、二つのクラスの間には大差がついていました。そしていよいよ、両クラスのアンカーまでバトンが回ってきました。

 そのバトンを受け取り、先頭を走っていたのは、ふじ組アンカーのユウヤ君でした。そのはるか後方で、うめ組アンカーのレイ君が必死で追いかけます。しかし、あまりのレイ君の速さに、会場の雰囲気も一変、見る見るうちにユウヤ君との距離を詰め、最終コーナーを回ったところでついに逆転してしまったのです。

 会場中から大歓声があがり、大変な盛りあがりの中で、運動会はフィナーレを迎えました。レイ君が本当に素晴らしい見せ場をつくってくれたのでした。

 後日、私がうめ組の部屋を訪れると、あのレイ君の姿がありました。私は、一目散に彼のもとへ駆け寄り、「レイ君かっこよかったなあ」 と言うと、彼はうつむき加減で照れ笑いをしました。

 すると、その横でカナちゃんという女の子が、私に声をかけてきたのです。そして一言、「先生、私、こけてしまってん...」と言ったのでした。

 思い返すと、確かに彼女は転んでいました。しかし、その後、必死で立ち上がり、最後まで走り切ったのです。

 私が、「カナちゃん、こけちゃったなあ。 残念やったね。でも、カナちゃんは、それでも最後まで走り切ったやろ。 それが一番かっこいいねんで」と言うと、彼女は、「うん、私がんばった。先生見ててくれたんやね! ありがとう」 と言って、とてもうれしそうに笑ったのでした。

常に私を照らす光

 私は、大切なことを忘れていました。最高の見せ場をつくったレイ君、転んでしまったけれど、最後まで走りきったカナちゃん。そして、もちろん、最後に追い抜かれて悔しかったけれど、アンカーという大役を背負ってがんばったユウヤ君も、みんな素晴らしかったのです。

 子どもたちに、運動会であっても、順序をつけるとかわいそうだという意見もあります。しかし、競技の中に順序はできても、そこにはそれぞれの成長があり、がんばりがあるのです。少なくとも、カナちゃんは、失敗しても最後までがんばったという自信に満ちあふれていました。大切なことは、大人が子どもの人生にとって邪魔(じゃま)なものを、あらかじめ取り除くことではなく、子どもの生きる姿を、しっかりと見守ることなのだと、彼女の言葉によって気づかされました。

 「先生、見ててくれたんやね。ありがとう」とうれしそうに言ったカナちゃんは、そのがんばりをほめられたことよりも、自分のことをちゃんと見ている人がいたということを喜んだのです。いつでも、どこでも信頼のおける大人の眼差(まなざ)しがあることに、子どもは安心し、大きく育っていくのです。

 「大悲無倦常照我(だいひむけんじょうしょうが)」
 「正信偈(しょうしんげ)」のお言葉です。

 「阿弥陀仏の大いなる慈悲(じひ)の光明は、そのようなわたしを見捨てることなく常(つね)に照らしていてくださる」
 (現代語版『教行信証』151ページ)

 「見ててくれたんやね」と喜んだカナちゃんと同じように、私たちは、どんな時も変わることなく見守り続ける阿弥陀さまの眼差しに、安堵(あんど)の心をいただくのです。

 人生の大きな岐路に立った時、私たちは自分で判断し、自分で行動して、そこに人生の喜びや悲しみを感じています。けれども、私たち人間の眼差しには限りがあります。それを決して見逃さず、いつでも、どこでも見守ってくださっているのが仏さまです。それが阿弥陀さまなのです。

 不安なら不安なまま、心配なら心配なまま、そのままの私を包み込む阿弥陀さまの眼差しこそ、私の人生を支える根っことなるのです。

(本願寺新報 2019年04月01日号掲載)

本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より

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