読むお坊さんのお話

言葉は違っても心は一つ -阿弥陀さまのよび声を聞いたままよろこぶ-

東光 直也(とうこう なおや)

本願寺派宗学院研究員 大分市・徳應寺衆徒

つい口を出す

 もうすぐ4歳になるうちの息子は、驚くたびに「ぶっくりした!」「ぶっくりした!」と叫びます。

 どうやら彼は、「びっくり」という言葉を間違えて覚えているようです。

 「ちがうよ、〝ぶっくり〟じゃなくて〝びっくり〟だよ」と何度言ったことでしょう。それでも彼は、いまだに直してくれません。

 他にも彼の言葉を聞いていて面白いのは、京都弁を話すことです。さすがに「何々どすえ」とまでは言いませんが、まな板に向かう妻を見ては、「かか(お母さん)、お料理したはる」と言い、お出かけしたくないときには「そんなん、行かへん!」と号泣します。これが私にとっては、実に不思議なことなんです。

 といいますのも、京都に住んではいますが、私も妻も九州の出身です。家だろうとどこだろうと、九州弁まるだしで会話をします。夫婦でタクシーに乗ると、決まって運転手さんに「京都へは観光ですか?」と聞かれるほどです。そんな私たちのあいだに生まれた彼が京都弁を話すのですから、これはもう「ぶっくり」、いや「びっくり」です。

 しかし、彼は生まれてこのかた京都で暮らしています。私たち両親に限らず、彼のまわりにいる人たちが話す言葉を日々聞いているはずです。もしかすると彼は、いろいろな言葉を聞いたまま、そのまま声に出して覚えていっている最中なのかもしれません。

 とすると、「ぶっくり」と言ってしまうのも一概に間違いとは言えませんし、京都弁を話すのも当然といえば当然なのですが...、やっぱり彼の言葉が気になって、気になってしかたありません。

 このように、私たちは他の人の言葉に気をとられて、つい口を出したくなることがあります。

言葉で苦しむ人間

 親鸞聖人がいらっしゃった当時、「南無阿弥陀仏」とお念仏しながら、「帰命尽十方無礙光如来(きみょうじんじっぽうむげこうにょらい)」ともお称(とな)えしている人がいたそうです。お念仏といえば「南無阿弥陀仏」ですから、聞きなじみのない言葉が気になって、「そんなお念仏は間違いじゃ。気取って〝無礙光如来〟などと称えおってからに!」と言う人もいたようです。

 このことについて、親鸞聖人はお手紙の中で、次のように述べておられます。

 「南無阿弥陀仏をとなへてのうへに、無礙光仏(むげこうぶつ)と申さんはあしきことなりと候(そうろ)ふなるこそ、きはまれる御(おん)ひがごとときこえ候(そうら)へ。帰命(きみょう)は南無(なも)なり。無礙光仏は光明なり、智慧(ちえ)なり。この智慧はすなはち阿弥陀仏なり。阿弥陀仏の御(おん)かたちをしらせたまはねば、その御(おん)かたちをたしかにたしかにしらせまゐらせんとて、世親菩薩(せしんぼさつ)(天親(てんじん))御(おん)ちからを尽(つ)してあらはしたまへるなり」(註釈版聖典763ページ)

 ここで聖人は、「帰命尽十方無礙光如来」とお称えするのは間違い、というほうが間違い、といわれています。いったい、どういうお心なのでしょうか。

 私たち人間は「言葉」によって物事を分別(ふんべつ)し、互いにくらべあって生きています。その先にあるのは、「苦しみ」です。ですが、そうとわかっていながら、「言葉」の中でしか生きられないのもまた、人間です。阿弥陀さまは「言葉」で苦しむ私たちのために、「言葉」の仏さまとなってくださったのでしょう。

 その「御(おん)かたち」こそ「南無阿弥陀仏」であり、そのおすがたを私たちにわかりやすく知らせようと天親菩薩(てんじんぼさつ)が力を尽くしてあらわされたのが「帰命尽十方無礙光如来」だったのです。

 ですから、言葉は違っても心は一つ、どちらの「御(おん)かたち」も「必ずあなたを救う。私にまかせておくれ」という、阿弥陀さまのよび声にほかなりません。このよび声だけは唯一、私たちを救う真実の「言葉」です。

 お念仏で大事なのは格好ではなく、阿弥陀さまのよび声を聞いたままそのままよろこばせていただくことです。このお手紙を通して、「そんなお念仏は間違いじゃ」と言っていた人にも阿弥陀さまのよび声が届いたことでしょう。

 ところで先日、「ぶっくりした!」と言う息子を見た私の母が、「そういえば、あなたもこの子ぐらいの時、〝ぶっくり〟って言ってたのよ」と教えてくれました。自分の息子とはいえ、やっぱり人のことをとやかく言うべきではありませんね。

(本願寺新報 2019年04月10日号掲載)

本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より

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